セルフ・カウンセリング 自分の心に出会えるメルマガ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ セルフ・カウンセリング ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪ ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 第 16 号 2007年 10月 15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ |
みなさん、こんにちは。 「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。 みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか? これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。 私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。 楽しくお読みいただけたら幸いです。 連載になっておりますので、初めての方は、バックナンバー第1号からお読みいただくとわかりやすいと思います。 |
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第15号(10月1日発行)より、 セルフカウンセリングのプログラムである「記述・洞察」に取り組んで新たな自己発見をした方々の、体験談を紹介していきます。 「記述」とは、日常生活において、心に引っかかった、ある一場面を、ありのままに、ルールに従って書き表すことです。 相手が言ったこと、したことと、自分が言ったこと、したこと、そして、自分が思ったこと(心のセリフ)を時間順に書き表していきます。 「洞察」とは、記述文をてがかりに、その奥にある自分の思いを探究することです。 記述の一文一文に対して、意識の対象や感情、欲求を取り出していきます。 このように、記述と洞察をすることによって、距離を持って自分を見つめることができるようになり、 自分や相手に対して、様々な気づきが生まれてくるようになります。 セルフカウンセリングとは、「記述・洞察」というプログラムを通して新たな自己発見をすることなのです。 |
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 「自分の心に出会える本」 渡辺康麿著 より抜粋 (vol 16) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 自分の心と向き合って ー セルフカウンセリング体験記録 1 ー +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ タイトル 「 結婚しているかどうかにかかっていたんだ!」 (体験談1ー後半) |
前号からの続きですので、 バックナンバー15号からお読みいただくとわかりやすくなっております。 |
☆★結婚している人は、自分よりも偉い人……?★☆ |
心のセリフの中で、私は、S君とMにさんざん文句を言っています。 そこで、この二人に対する思いを見つめてみようと思いました。 私からS君に対する感情は、多くが「あこがれ」と「うらやましさ」という感情です。 そして、同じ一文からは、自分自身に対しての不安という感情が取り出せました。 私の中には、結婚している人は自分よりも偉い人、という思いがあるのではないでしょうか。 だから私は、結婚しているS君との比較で、自分を認められなくなってしまうのです。 そして、その反動としてS君のマイナス点を探し出して、自分を肯定しようとしているのです。 しかし、結婚に失敗した自分、結婚していない自分というのは、私にとって最大のマイナス点です。 このマイナス点ゆえに自分の存在価値を認められない私は、ついに相手の値打ちを下げ切れなくなり、逆に不安を強めてしまったのです。 この『結婚』に対する私の不安は、S君一人にとどまってはいませんでした。 自分が結婚していないということから出発して、比較の対象を漠然とした多くの既婚者というものにさらに拡張しているのです。 結婚していない自分は、結婚している人に比べて魅力がないのだ、自分を認めてくれる人がいないのは、自分がおかしいからなのだ、 というように思考を飛躍させて、再び不安になっていました。 |
☆★結婚していない、恋人がいないという事実が重かった!★☆ |
私からMに対する感情には、恋人のいるMがうらやましい、という感情が出てきていました。 それと同時に、恐れという感情まで出てきていたのです。 私は、『自分たちの世代は、恋人がいるのが当たり前である』という Mの考え方を、どうしても否定できませんでした。 恋人がいない自分がおかしいのではないか、というところまで 考えを広げてしまったのです。 Mに対する『恐れ』は、そういう思いから出てきたものでした。 どうして私は、Mの考えを否定することができなかったのでしょうか。 愛情をもって接してくれる恋人がいる人に対して、 恋人がいない自分が何を言っても説得力がない、と 私は考えてしまうのです。 たとえば、Mに 「恋人がいないのって、その人に魅力がないからなのよ」と 言われたとします。 それに対して、私がいくら「そうとはかぎらないよ」と言っても、 それは恋人がいない人のひがみよ。 じゃあ、あなたの魅力を理解してくれる人がいるわけ?」 とでも言われたら、どんなに強がりを言っても、 何の裏づけもないので、まったく説得力がないと考えてしまうのです。 自分の存在を認めてくれる異性をもっている人の存在価値と、異性をもっていない自分の存在価値とを比べてしまうのです。 自分のことを思ってくれる人がいるのといないのとでは大きな差がある、と考えているのです。 S君とMに対する気持ちを見つめてみて、結婚していない、恋人がいない、ということが どれだけ自分にとって重みをもっているものなのか、私は、あらためて思い知らされました。 |
☆★悪循環をくり返していたんだ!★☆ |
ここに一つの私の思考パターンを見ることができます。 結婚生活をつづけている人、および、恋人とすごしている人、 この二つのグループを 『自分の存在を認めてくれる人をもっている人たち』 という共通の項目で、一つのカッコにくくります。 このカッコでくくった人たちと自分とを比較すると、私はどうしても自分の存在価値を認めることができなくなります。 それで、この人たちの価値を引き下げようと、さまざまなモノサシをもち出します。 しかし、ここで私はまた不安になってしまいます。 なぜなら、相手の価値を引き下げようとしてもち出すモノサシは、しょせん、自分のモノサシだからです。 果たしてまわりの人たちみんなが、自分のこのモノサシを支持してくれるかどうか、自信がないからです。 つまり、私の意識は、ここで世間一般といった漠然とした集合体へと広がっていきます。 よく考えてみると、この世間一般というのは、私のイメージが作り出しているものです。 つまり、私は、自分の存在価値の保証人として、世間一般の評価を引き合いに出しているのです。 しかし、それによって不安は弱まるどころか、かえってどんどん強まっていきました。 悪循環をくり返していた自分の姿が見えてきました。 |
☆★過去の場面が思い出されてきた☆★ |
今回の自分の洞察をくり返し読むうちに、この感覚はどこかで感じたことがあるなと思いました。 それは、私が小学校6年生のときのことでした。 クラスの中心的存在であった女の子と私は、たいへん仲が悪かったのです。 この女の子は気が強くて、しかもクラスメートにたいへん影響力がありました。 彼女は私の悪口をクラスのみんなに言いまわったので、私はクラスから孤立してしまいました。 しかも、そのときの担任の先生は、私のことをまったく認めてくれない人でした。 当時の私は病気がちでした。 体育が専門のその担任の先生からは、弱虫だ、根性がない、と言われつづけていました。 5年生のときの担任は、別の先生でした。 その先生は、作文が得意な私を高く評価してくれました。 クラスの仲間とも仲よしでした。 クラスがえによって、私は天国から地獄に落ちたような変化を味わったのです。 すべてのクラスの行事が、私の意見とは別の方向に動きました。 このとき、私は自分と、自分以外の集合体とのあいだに高い壁ができてしまったことを感じました。 そして、周囲から認められない苦しさを体験しました。 今でも、集団の中の自分を意識するとき、恐れがともないます。 この小学校6年生のときの経験が、恐れという感覚になって残っているようです。 人の顔色をうかがい、人に嫌われないように気を遣う、というクセがあるということに気づきました。 今まで自分では、そのことに気づいていませんでした。 こういうクセは、ふり返ってみると、小学校6年生のときからはじまったように思います。 今回の場面の中で感じた集団に対する疎外感や違和感も、ここからきていると思います。 私は、いつの間にか、集団から見て、自分がかわった特別な存在なのではないかということを恐れるようになっていったのです。 それを確かめたいがために、自分の価値観がみんなに受け入れられるかどうか、というこがつねに気になるようになっていったのです。 また、そもそものきっかけが、『女の子』から自分へ向けられたマイナス評価が原因でした。 そこから、特に女性からの評価を強く意識するようになっていったのではないか、と思います。 今回、離婚した自分に納得していなかったことを実感しただけではなく、集団や女性に対する自分の思いがどこからきているのか発見できたことも、 私にとっては大きな収穫でした。 これからも、この小学校のときの体験をテーマに、自己発見の旅をつづけたいと思います。 |
体験記録1終わり |
次回は、体験記録2「愛されたいから、自分で自分を縛っていたんだ!」を2回に渡ってお送りいたします。 |
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