セルフ・カウンセリング 自分の心に出会えるメルマガ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ セルフ・カウンセリング ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪ ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 第 20 号 2007年 12月 15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ |
みなさん、こんにちは。 「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。 みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか? これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。 私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。 楽しくお読みいただけたら幸いです。 連載になっておりますので、初めての方は、バックナンバー第1号からお読みいただくとわかりやすいと思います。 |
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第15号(10月1日発行)より、 セルフカウンセリングのプログラムである「記述・洞察」に取り組んで新たな自己発見をした方々の、体験談を紹介していきます。 「記述」とは、日常生活において、心に引っかかった、ある一場面を、ありのままに、ルールに従って書き表すことです。 相手が言ったこと、したことと、自分が言ったこと、したこと、そして、自分が思ったこと(心のセリフ)を時間順に書き表していきます。 「洞察」とは、記述文をてがかりに、その奥にある自分の思いを探究することです。 記述の一文一文に対して、意識の対象や感情、欲求を取り出していきます。 このように、記述と洞察をすることによって、距離を持って自分を見つめることができるようになり、 自分や相手に対して、様々な気づきが生まれてくるようになります。 セルフカウンセリングとは、「記述・洞察」というプログラムを通して新たな自己発見をすることなのです。 |
///////////////////////////////////////////////////////////////////// 「自分の心に出会える本」 渡辺康麿著 より抜粋 (vol 20) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 自分の心と向き合って ー セルフカウンセリング体験記録 3・後半 ー +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ タイトル「顔のことで自分で自分を否定していたんだ!」 (体験談3―後半) |
前号からの続きですので、 バックナンバー19号からお読みいただくとわかりやすくなっております。 |
★☆★心の動揺をかくすだけで精一杯だったんだ!★☆★ |
この場面での私自身への感情の流れを見ますと、落ちつかなさ→いたたまれなさ→いやな気分→やりきれない気分となっています。 一方、欲求の流れは、ヘンな質問にあいたくない→この場から消え失せたい→やりきれない気分から解放されたいなどと流れています。 面接官の言葉に傷ついた自分を、どう守っていいのかわからない状況のようでした。 面接官に対しての感情の流れは、恐れ→困惑→非難→憤り→非難→不快とあり、欲求の流れは ヘンな質問をしないでほしい→ひどい言い方をしないでほしい→いやな気分にさせないでほしいなどです。 面接官から自分が触れてもらいたくないことを触れられてしまった、という自己評価の危機だったのではないでしょうか。 面接官に対して、できることなら自分のよい面だけを見せて終わりたい、終わらなければならないと思っていました。 しかし自分が、自分で最も否定的に感じている、自分の顔のことをはじめに指摘されてしまったのです。 私の面接についての筋書きは、もろくも崩れてしまったのでした。 自分では、心から動揺し、もうどうしようもないという場面だったように思います。 面接官の感情は、単純に驚きだったのではないでしょうか。 欲求は、顔の異常の原因は何かを知りたいというものだったのではないかと思います。 何か病気のせいか教えてほしいと思い、私を採用に値するかどうか見極めたいと、面接官自身思っていたのでしょう。 それで、原因を確認するために言った言葉だったのではないかと今は思えます。 私は自分の顔のコンプレックスを、まさに『ハンディキャップ』と思っており、 触れられたくない、できるだけ触れるのを避けてほしいと思っています。 それで面接官の「何だこれは」という反応に(私の顔を見たときの反応の仕方は人さまざまであると思われますが)、 私のほうは真っ正面から受けてたつことができず、防衛反応のみが内面からわきあがり、自分自身傷ついています。 私は面接官に「よい印象を与えたい」と思っています。 しかし、本来、自分のすべてを相手にさらけ出せる心のゆとりがあり、相手の聞きたいことを 最大限に答えていこうという意欲が相手に伝わらないと、相手との信頼関係はできないだろう。 そして、相手によい印象をもってもらうこともできないだろう。 自分のすべてをさらけ出せる心のゆとりができるためには、自分のすべてを自分が肯定できている必要があるのだなあと、セルフカウンセリングをやってきてわかったのです。 とすると、このときの私は、自分のコンプレックスをかくすために、 また、自分の心の動揺をかくすために必死だったのですから、心のゆとりなどあろうはずもないのです。 そうなのだとすると、相手によい印象を与えられなかったのは、無理のないことだと思います。 |
★☆★なぜかコンプレックスが消えてしまった!★☆★ |
以上のような場面研究により、誰よりも私自身が自分の顔かたちについて否定的に評価していたのだ、ということに気がつきました。 不思議なことに、このようなことに気がついたとき、この顔かたちのコンプレックスがすっと消えてしまいました。 もし私がセルフカウンセリングに出会っていなかったら、これらのコンプレックスを一生自分の中に抱え込んでいたかもしれません。 そのコンプレックスが消えてしまったのです! セルフカウンセリングの方法はすごいものだ! と思いました。 私は、この顔かたちのコンプレックスについて、ほかにも七場面研究しました。 それぞれの場面で、ここで述べたような自己否定感による防衛反応に気づきました。 つまり、自分が否定している顔について、相手も否定したと思い込んでいたことに気づきました。 その思い込みで相手を見ていたため、相手が何を伝えたかったのかを聞く前に、自分のほうから心を閉ざしていたのです。 そのために、相手を見失い、コミュニケーションがとれなかったということに気づきました。 また、小学校のときの場面からは、先生が学芸会の演劇に出してくれなかったのは、自分の顔のせいだ、と思い込んでいたのですが、 記述し、読み返していくうちに、私は当時声が小さく、はずかしがりやだったために、役を与えられなかったのかもしれないと思えるようになりました。 私は自分は成績がいいのだから、当然劇に出してくれると期待していたのです。 ところが、自分の期待に反する行動を先生がしたとき、先生は私の顔がヘンだから役につけてくれなかったのだと思い込んでいたのです。 この気づきから、私は自分が、他人から自分の思うとおりに扱われなかったとき、あるいは自分自身が不本意に扱われたと思ったときに、 その原因をこのハンディキャップのせいなのだ、どうしようもない、というように思い込んできたことに気づきました。 また私の対人関係の姿勢は、どちらかと言うと対人恐怖症的なところ、すなわちほかの人からの否定を極度に恐れ、 相手にできるだけ合わせようとするところが見られるのは、この顔かたちコンプレックスに象徴されるさまざまなコンプレックスからきているのかもしれない、と思うようになりました。 |
★☆★すべてのとらわれから自由になりたい!★☆★ |
考えてみますと、生きること、生きていくということは、そのときそのときの状況の中で、無意識に自分がいいと思っていることや 欲していることを取り入れようとしたり、自分がいやだと思っているもの、欲しないものを捨てようと思ったりする、いわば取捨選択の作業なのでしょうか。 恐らくそれはそんなに単純な作業ではないのでしょうが、それらが積み重なって自分の価値観が形作られ、自己形成されていくようです。 そして、これらの価値観が、心の中で絶対化され、固定化されてしまうと、自分を裁いたりして、お互いのコミュニケーションを難しくするものと思います。 セルフカウンセリングの方法は、無自覚的に形成されたあらゆる価値観をバラバラにして相対化し、 自分自身で理解しなおすことを指向しているのかと思います。 今後ともこの方法によって自己探求を深め、私自身の心の奥に秘められた、 いろいろな価値観やコンプレックスを発見したいと思っています。 そして、少しでもそれらの思い込みによるとらわれから、自由になれればと思っています。 |
体験記録3終わり |
次回は、体験記録4「まわりの人の目を気にしていたんだ!」を2回に渡ってお送りいたします。 |
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