セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 37 号 2008年 9月 15日
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みなさん、こんにちは。

「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。

みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?
これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。

私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。

楽しくお読みいただけたら幸いです。

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連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
   1〜22号   「自分の心に出会える本」より
   23号〜    「自己形成学の創造」より
   32号〜 新連載「セルフ・カウンセリングの方法」より

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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。
そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。

☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆

セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。
家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。
テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。
もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。
自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。
まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。
そして、相手の気持ちがわかります。
そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。
人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。

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第32号より、セルフ・カウンセリングのプログラムに取り組み、 新たな自己発見をした方々の、体験談を紹介していきます。

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「セルフ・カウンセリングの方法」 渡辺康麿著 より抜粋
(vol . 6 )

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苦手な人とうまくつきあう
ー セルフ・カウンセリング ケーススタディ 3 ー
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タイトル「まったく挨拶もできないのか」 [男性・35歳]

        (ケーススタディ3ー後半)

前号からの続きですので、 バックナンバー36号からお読みいただくとわかりやすくなっています。

【洞察による発見】

☆★“自分の責任”にこだわっていた★☆

洞察をしたことで、自分の松田さんに対する感情や欲求(期待感)が、さらに明らかになりました。
場面の始まりで、私は『部下を尊重していることを示したい』という気持ちから、朝の挨拶をしています。
しかし、その後はずっと松田さんに対して不満感を抱きつづけています。
その不満感は、『挨拶を返してほしい』『礼儀をわきまえてほしい』『真面目に(無駄話をしないで)仕事をしてほしい』 という松田さんに対する期待感から生じているのです。

松田さんが「ああ、すぐしまーす」と言って、書類を繰りながらも坂田さんと話しているのを見るにいたって、不満感は怒りに転じました。
その怒りの奥には『もっと能率的に仕事をしてほしい』という期待感がありました。
私自身、常々、“能率”を重視して仕事をしています。
“挨拶”にこだわるのも、職場の雰囲気をよくすることで“能率”を上げたいという思いがあるからかもしれません。
松田さんが報告書の書式のことで聞きに来てからも、松田さんに対する怒りはつづいています。
怒りの奥には『こちらの説明をよく聞いてほしい』『自分でちゃんと考えてほしい』 『仕事を理解してほしい』という思いがありました。

また、〈ミスの責任をオレに転嫁されちゃあ、たまらない〉と思ったときや、頭をふりふりデスクに戻る松田さんに、 〈何か不満そうな言い方だ〉と思ったときの、松田さんに対する欲求は『ミスを私のせいにしないでほしい』というものでした。
これらの洞察結果を読み返して私はハッとしました。
私は部下のミスの責任を取ることになりたくなかったのだと気づいたのです。
能率にこだわるのも、能率が下がると結局は課長である私の責任になると思って恐れていたのです。

☆★強迫観念にしばられていた ★☆

思い起こしてみると、この恐れの感情は、入社した頃からずっとつづいてきたものです。
ミスを犯さずに昇進していきたいという気持ちがあったので、恐れが生まれたのだと今気がつきました。
新入社員だった頃から、私は自分の責任を果たさなくてはと緊張してきました。
何かミスがあったときは、私のせい(私の責任)にされることを恐れました。
責任を果たすということが、私にとっては一種の強迫観念のようになっていたのに気づきました。
ここまできて、〈ところで、私の思う責任とはいったい何なのだろう〉という疑問が生じてきました。
それは結局、『会社が私の役割として私に期待していること』であることに気づきました。
そうなのです。
私は〈会社は、つまり上司や部下は、私にこうあってほしいと期待しているのだろう〉と察して、 その自分で作り上げた観念にとらわれていたのです。
そして自分の観念にそって、そのようにあろうとがんばってきたのです。
それだから松田さんに対しても、私が役割を果たせるようにしてほしいと、期待したのかもしれません。

☆★悪い先入観があった★☆

次に私は、松田さんの立場に立って、松田さんの感情や欲求を汲み取ってみました。
すると松田さんは、坂田さんとのおしゃべりを楽しんでいて、もっとしゃべりたかったのだということが推察されました。
でも松田さんに、まったく仕事をする気がなかったわけではなくて、おしゃべりはしたいが仕事もしなくちゃと思っていたのではないか。
私に対しては、〈わからないところをやさしく教えてほしい〉と期待していたのではないかと思います。
松田さんなりに、わかるようになりたい、と願っていたのではないでしょうか。
さらに頭をふりふりデスクに戻ったときは松田さんも、『間違わずに仕事をしたい』 『ミスを自分のせいにされたくない』と思っていたのではないか、と推察しました。
私の推察のとおりなら、私も松田さんも、同じようにミスが自分のせい(自分の責任)になることを回避しようとしていたことになります。
つまり私は松田さんと、互いに責任のなすりあいをしていたということです。
しかし、ミスはまだ起こっていないのです。
松田さんは間違った処理をした書類を私に見せ、確認を求めているのですから。
そこで、責任を取りたくない私が、松田さんを責めるような口調で注意したため、 やはり責任を取りたくない松田さんが、嫌な気持ちになったとしても無理はなかったと思います。
私が松田さんの気持ちを汲み取って、穏やかな口調でもう一度説明をしていたならば、この場面はまったく違った展開になっていたことでしょう。
ただ私自身が、〈言われたことは一度で正確に理解する〉ということを心がけてきたせいか、 聞き直す松田さんに対して、いい感情がもてなかったのです。
もちろん、いい感情がもてなかった背景には、常日頃からの松田さんに対する先入観(礼儀知らず、不真面目など)がありました。
松田さんが電卓を探し回っているのを見て、私は〈教えてやるべきか、教えてやるべきではないか〉と迷いました。
教えれば仕事の能率は上がります。
でも、〈教えることは、相手のためにならない〉とも思ったのです。
〈私はなんでも自分で学び取ってきた〉という自負があるので、松田さんにも自分で苦労することを覚えさせたかったのです。

今思えば、電卓のありかぐらい教えたって、松田さんの成長を阻害するようなことにはならなかったと思います。
このとき私が電卓のありかを教えなかったのは、松田さんの成長のためというよりは、他の動機だったのかもしれません。
〈私は真面目に苦労してここまで来たのに、こんな不真面目なやつが楽をしてはずるい〉というような思いがあったのかもしれません。

☆★自分が気持ちよければいい★☆

私は“相手を尊重する”という意味で、日常の挨拶を重視してきました。
自分が尊重されていると思えば、誰でも気持ちがいいでしょう。
ですから日常の挨拶をすること自体は、よいことだと今でも思っています。
問題は、相手から挨拶が返ってこないときに〈自分は尊重されていない〉と感じて、落ち着かなくなってしまうところにあるのです。
記述をしたことで、自分が落ち着いていたいから、自分を尊重してくれそうな相手にだけ挨拶をしている自分に気づかされました。
要するに、〈あなたが私を尊重してくれるなら、私もあなたを尊重してあげる〉ということです。
私の相手に対する尊重は、“自分を尊重してくれるかどうか”という条件つきの尊重だったのです。
このことに気づいたとき、〈私はなんて自己中心的で自分勝手な人間だろう〉と感じました。
しかし今思うことは、人間はみんな自分という中心をもって生活しているということです。
だから、みんな自分中心に感じたり考えたりしているのだと思います。
それは、いいとか悪いということを超えた、事実なのだと思います。
私は私という中心をもってまわりの人を尊重したいし、まわりの人からも尊重されたい。
このように考えてきた結果、挨拶が返ってくるかどうかは、どうでもいいことのように思えてきました。
私が気持ちよく過ごしたいから挨拶する、それだけでいいのではないか。
そして、相手の気持ちを汲み取っていけば、相手への尊重は伝わるのではないかと思いました。
ある日、松田さんのほうから「課長、おはようございます」と挨拶してきたときには、不思議な感じがしました。

今回、“挨拶をしない部下”ということでセルフ・カウンセリングをしてみましたが、思わぬ発見もありました。
“責任を取る”ということは、私にとっては他者からの期待に応えるということだったこと、期待されていると緊張していた自分があったということ。
これらに気づいて以来、私は何か肩の荷がおりたような気がしています。

ケーススタディ3おわり

次回は、ケーススタディ4「何で私のことをいじめるの」を2回に渡ってお送りいたします。

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