セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 58 号 2009年 8月 1日
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みなさん、こんにちは。
「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。
みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?
これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。
私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。


連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
   1〜22号   「自分の心に出会える本」より
   23号〜    「自己形成学の創造」より
   32号〜 新連載「セルフ・カウンセリングの方法」より



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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。
そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。

☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆

セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。
家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。
テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。
もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。
自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。
まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。
そして、相手の気持ちがわかります。
そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。
人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。



第32号より、セルフ・カウンセリングのプログラムに取り組み、 新たな自己発見をした方々の、体験談を紹介していきます。

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「セルフ・カウンセリングの方法」 渡辺康麿著 より抜粋
(vol . 27 )



― 家庭こそ、本来の居場所 ―

☆★☆家庭崩壊の危機☆★☆

ここ数年、マスコミで、家庭崩壊を取り上げる記事が増えてきています。
例えば、離婚や家庭内暴力といった問題です。
今や、こうした家庭崩壊の問題は、誰にとっても身近で差し迫った問題となってきています。
私たちは改めて、「家庭とは何か?」と問わずにはいられなくなりました。

 ☆★☆ 家庭内での評価の変化 ☆★☆

戦前は、家庭の大黒柱と言われた父親が、絶対的な権威をもつ存在でした。
父親に従う母親がおり、親に従う子供たちがいました。
さらにその子供たちの間にも、格差がありました。
例えば家を継ぐ長男は、次男以下に対して特別な位置を与えられていました。
性別や出生の順で、家庭での序列が決まっていたのです。
この序列は会社の階層のように固定的なものでした。
その序列に基づいて、それぞれが家庭の一員としての役割を果たしてきていたわけです。
戦前では、家庭は性別や長幼の順によって位置づけられていたのですが、戦後は家庭の全員が各自の社会的能力によって評価されるようになりました。
親子について言えば、例えば親は、勉強の出来不出来できょうだい同士を比較して「お兄ちゃんより、弟のほうが頭がいい」とか、 「お姉ちゃんはクラスで5番なのに妹は40番で困ったものだ」というように評価をします。
一人っ子の場合でも、ほかの家の子供と比較して「うちの子は出来が悪い」というように評価をします。
他方、子供たちも父親や母親を「〜君のお母さんは料理が上手なのに、うちのお母さんは下手だ」とか、 「〜君のお父さんは社長なんだって。うちのお父さんは平社員だね」とかいうように、ほかの家の両親と比較して評価します。
夫婦間では、夫は妻を家事の能力などによって自分自身の母親や同僚の奥さんなどと比較して評価します。
他方、妻は夫を会社での地位などで、自分自身の父親や友人の夫などと比較して評価します。
きょうだいも同様に「私はきょうだいの中で一番よい学校に行っている」とか、「私は一番勉強ができない」などと評価します。
このように家庭の中でも、まわりの人を能力によって評価しあうようになってきました。

☆★☆社会的業績による評価☆★☆

社会が固定的な階層社会から流動的な大衆社会に移行してきたのにともなって、私たちは、自然的属性から、社会的業績によって評価されるようになってきました。
会社だけではなく、家庭においてさえも、能力によっていつも誰かと比べられて評価されるようになると、 私たちはまわりの人からより高い評価を得るために、絶えず努力するようになります。
例えば父親は、会社で上司や同僚から評価されるために、業績を上げることに邁進しますし、子供は先生や級友などから評価されるために、成績を上げることに励みます。
母親は、社会から母親として高く評価されるために、子供に学校でよい成績を取らせようと努力したり、 妻として高く評価されるために、夫を会社で出世させようと努力します。
さらには、自立した女性として評価されるために職場に働きに出たり、教養ある女性として評価されるために カルチャー・スクールに通ったりするということも起こります。
自分がしたいからするというより、評価を得たいためにするということが起こるのです。
さて、このような社会の状況の中で、家庭はどうあったらよいのでしょうか。

☆★☆あらゆる評価から解放される場 ☆★☆

このように家族のそれぞれが、自己評価を高めるためにアクセクと努力し始めると、もはや家庭は心の安らぐ場ではなくなり、家族の間の心のつながりも失われてしまいます。
しかし、私たちは心の奥底では、ありのままの自分を丸ごと受け入れてもらいたいと願っています。
この事実を踏まえて、私たちは家庭のあり方をもう一度考えてみたいと思います。
私は、家庭こそすべての社会的な評価から解放される場であってほしいと思うのです。
そして、その家庭本来のあり方を保つ要になるのが、夫婦ではないかと思います。
もし、夫が妻の存在をかけがえのないものとして受け入れるならば、また、妻が夫の存在をかけがえのないものとして受け入れるならば、 お互いに、自分の値打ちをありのままに受けとめられたという安らぎを得ることができます。
その結果として、評価を得るために会社に行くのでもなく、出世させるために努力するのでもなく、心のつながりを深めるために努力するようになります。
そして子供も、自分の存在を丸ごと受け入れられていることを感じつつ、家庭を安らぎの場として過ごすことが可能になります。
では、どうすればありのままの夫、あるいは妻を受け入れることができるでしょうか。
それには、自分の妻、あるいは夫に対するさまざまな不満の源をつきとめることが必要です。
自分が相手に何を期待しているのか、その期待は、自分のどんなイメージから来ているのかをつきとめることが必要です。
そのために、自分が気づかずに抱いている、さまざまな理想像に基づく欲求(期待)を具体的場面として書き表わしてみます。
そうすることによって自分の理想像とそれにもとづく欲求に気づき、そのあるがままの自分を自分で受けとめられるようになることでしょう。
そうなって初めて、理想像にもとづく欲求は絶対性を失い、そのとらわれから解放されます。
そして、妻あるいは夫をあるがままに受け入れる可能性が生まれてくるのです。
家庭の本質は、互いが、相手をかけがえのない人として、受け入れあうところにあると私は思います。



ー セルフ・カウンセリング ケーススタディ 14 ー

タイトル 「妻と母との板ばさみになって」〔男性・38歳〕

【研究動機】

ある中堅企業の主任さんから、こんな悩みを打ち明けられました。
『私は、会社では問題解決力のある人、決断力のある人間として評価されていると思います。
しかし情けないことに、家に帰ると自分が変わってしまうのです。
なぜ決断できなくなってしまうのか、自分でもわかりません。
妻からはいつも優柔不断な人だと言われています。
自分でもそれを認めざるを得ないのです。
帰宅拒否症寸前の心境です。どうしたらいいのでしょう』
私はこの主任さんに対して、こう話しました。
『会社では決断できる人と言われているのですね。
ということは、会社では事態がきちんと見えているのでしょう。
現実の状況がありのままに見えていれば、どこにどういう問題があるのかを見ぬくことができます。
その上でどのようなことが問題の中心であるのかも見分けることができます。
そうすると、どう対応すれば問題を解決できるかという知恵がひとりでにわいてきます。
それで、しっかりした決断がくだせるのです。
ところが、会社内のことと違って、家族の気持ちや家庭の現実は見えていないのだと思います。
ですから、まず家庭の現状をよく見聞きする必要があります。
できたら家庭生活の一場面を具体的に書いてみると、現実が現実として現われてくることと思います。
すると、今自分がどのようなことで葛藤しているのか、家族との食い違いがどこにあるのかが見えてくると思います。
ともかく、現状をしっかり見聞きして、問題点を発見することが解決の糸口です』

【場面説明】

妻の実家に子供づれで遊びに行きました。
そのときの、自宅に戻る途中の車の中でのことと、帰宅してからのことです。

【場面記述】

妻は「夕食をどこかで食べていきましょうよ」と言った。

私は〈困ったなあ。
おふくろの機嫌が悪くなるのはいやだなあ〉と思った。

私は「おふくろが一人で留守番をしてくれてるから、帰ろうよ。
夕食は家に帰って食べよう。
きっと、おふくろが夕食を作っていると思うよ」と言った。
妻は黙ってしまった。

私は〈困ったなあ。
不機嫌になってしまった。
でも、どうしようもないよ〉との思いのまま自宅に着いた。
妻は家につくと、そのまま夫婦の寝室に入って行った。

私は〈有美子のあの態度は何だ。
おふくろにろくに口もきかないで。
また、おふくろの機嫌が悪くなったらどうするんだ。
困ったなあ〉と思った。

私は妻の後を追って寝室に入った。
私は着替えを始めた。

妻は「私は食べないから。
あなただけ食べてきてね。
陽子(娘)にはちゃんと食べさせてね」と言った。

私は〈また、ご飯を食べないと言い出した。
どうしたものかなあ。
みんなと一緒に食べてほしいなあ〉と思った。

私は「みんなで食べようよ。
陽子だって、おふくろだって、一緒に食べたいと思っているよ」と言った。

妻は「おなかすいてないから」と言った。

私は〈有美子がおふくろと一緒に食事をしないと、おふくろから何か言われそうだなあ。
『どうかしたの』と聞かれたらどう言おう〉と思った。

私は「ごはん食べに下に行こう」と言った。

妻は「なんで外食しちゃいけないのよ。
あなたの妹たちは外食したって何にも言われないでしょう。
外食だったら、後片づけだってしなくてすむのに。
陽子をすぐにお風呂に入れて寝かせることだってできるし。
私たちだって、すぐに休めるじゃないの」と言った。

私は〈外食すればよかったなあ。
でも、有美子の実家にばかり行って、ウチではご飯も食べないと言われたくないし、おふくろが逆上しても困るしなあ。
妹たちは自由に動き回っているのに、有美子は縛られているのかもしれない。
有美子は、後片づけをしたくなかったのかなあ>と思った。

私は「片づけは俺がするよ」と言った。

妻は「私の気持ちをちっともわかってくれないんだから。
もう寝ます」と言って、ベッドに潜り込んだ。

私は〈どうしたものかなあ。
あ〜あ、また口をきかなくなってしまうのかな。
俺はいったい、どうすればいいのだろう〉と思った。

【洞察してみて】

☆★☆妻と母との板ばさみになっていた☆★☆

私は、妻と母との間で、どちらかを立てればどちらかがだめになり、立場がむずかしいと思いました。

以下、次号(ケーススタディ14ー後半)に つづく・・・

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