セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 83 号 2010年 8月 15日
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みなさん、こんにちは。
「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。
みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?
これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。
私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。


連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
  1号〜    「自分の心に出会える本」より
 23号〜    「自己形成学の創造」より
 32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」より
 62号〜 新連載「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」より



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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。
そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。

☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆

セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。
家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。
テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。
もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。
自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。
まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。
そして、相手の気持ちがわかります。
そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。
人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。


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「自分って何だろう 〜現代日本人の自己形成〜」

渡辺康麿著 より抜粋

(vol . 22 )


他人のモノサシ、 自分のモノサシ
ー 西洋人と日本人の自己意識 ー


□日本人は二人称の世界で生きている□

それは、日本のお母さんが、自分自身と子どもとを無自覚的に一体化してしまっていることからきていると言ってよいでしょう。
さらに、一歩踏み込んで言うと、日本のお母さんは、自分のネウチを確かめる根拠をわが子に求めていると言ってもよいでしょう。
反対に言うと、子どもは、お母さんの自己評価の手段として利用されていると言えるかもしれません。
しかし、それだけではありません。
日本のお母さんが、子どもと一体化しやすいという文化的背景があります。
私が、中学生になって英語をはじめて学んだ時のことです。
二つのことに驚きを感じました。
その一つは、英語では、いつでも、‘I see’(わかった)とか‘I do’(やるよ)とかいうように、 きちんと自分のことをはっきり打ち出しているということです。
しかも、誰に対してでも、自分のことを、‘I’というただ一つの言葉で言い表わしているということです。
ところが、日本語では、まず、自分のことをいちいち、きちんと「私は、〜をします」というように言い表わしません。
たいていの場合、省略されることが多いと言ってよいでしょう。
そして、日本語では、自分のことを言う場合でも、人に応じて、また場面に応じて、自分の言い表わし方が違ってきます。
「私」と言ったり、「僕」と言ったり、 「俺」と言ったりするようにです。
本当の意味で、一人称というものが欠けていると言うことができるでしょう。
もう一つのことは、今述べたこととつながっています。
英語では、自分以外のほかの人のことを、「彼」とか「彼女」とか言い表わしているということです。
日本語では、親や先生や友人のことを、「彼」とか「彼女」と言ったりはしません。
自分にとって、親はいつまでも「お父さん」「お母さん」であり、先生はいつまでたっても「先生」です。
「お父さん」や「お母さん」や「先生」が、「彼」になったり「彼女」になったりしないのです。
つまり、本当の意味で一人称が欠けているように、本当の意味で三人称が欠けていると言うことができるでしょう。
もし、そうだとすると、私たち日本人は、どういう仕方で、自分やほかの人をとらえているのでしょうか。
私の考えでは、日本人は、二人称で、言いかえると、相手と自分という二者関係の中でのみ、自分をとらえているのだと思います。
つまり、相手とのかかわりの中で、自分を相対的にとらえているのだと言ってもよいでしょう。
もう大学生になった息子や娘に対して、私は、今でも「お父さんはこう思うよ」と言っています。
こうなると、息子や娘は、どこまでも「子ども」であって「彼」や「彼女」にはなれないわけです。
このことからどんなことが言えるのでしょうか。
西洋人は、主として、一人称と三人称の世界の中で生きているのに対して、
日本人は、主として、二人称の世界の中で生きていると言うことができるでしょう。
言いかえると、西洋人は、まず「私」があって、それから、「私」以外のほかの第三者としての、「彼」や「彼女」があると暗黙のうちに考えています。
そこから、私には私の世界があり、彼には彼の世界があり、彼女には彼女の世界がある、という考え方が出てきます。
ところが、日本人は、まず相手(彼や彼女ではない!)があって、それから私があるというように、暗黙のうちに考えています。
言いかえると、日本人には、はじめから「相手と私」という世界があるだけなのです。
ここに、日本のお母さんが、わが子と一体化する文化的な背景があると言ってよいでしょう。

つづく・・・

次回は「 ”みんな”と”私”の位置づけ」をお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに!

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