セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 86 号 2010年 10月 1日
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みなさん、こんにちは。
「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。
みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?
これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。
私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。


連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
  1号〜    「自分の心に出会える本」より
 23号〜    「自己形成学の創造」より
 32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」より
 62号〜 新連載「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」より



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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。
そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。

☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆

セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。
家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。
テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。
もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。
自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。
まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。
そして、相手の気持ちがわかります。
そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。
人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。


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「自分って何だろう 〜現代日本人の自己形成〜」

渡辺康麿著 より抜粋

(vol . 25 )


他人のモノサシ、 自分のモノサシ
ー 私の日本人論 ー


□日本人論への私の関心□

私が日本人論に関心を持つようになった理由は、三つあります。
まず、第一に、一人の心理療法家として、日本人の自己形成の問題に取り組んできたことです。
一例をあげれば、私がかかわりを持った人たちが、まわりの人からどう思われるかということに、 とても敏感であるということが、私の注意を惹きました。
第二に、私が原始キリスト教の成立を社会学的、社会心理学的に研究してきたことです。
一例をあげます。
イエスの「失われし小羊」のたとえ話は私を驚かせました。
その物語の羊飼は、九十九匹を残しておいても、一匹を探し求めるというのです。
この物語は、一人のかけがえのない重みということを私に知らせてくれました。
それとともに、日本人の人格観念の欠如に気づくようになりました。
ここで、ちょっと脱線します。
日本人は戦後、アメリカから民主主義を取り入れました。
しかし、本当の意味で、民主主義の精神を理解しえたのかを問うなら、残念ながら否であると答えざるをえません。
平たく言えば、民主主義の精神とは、一人の人権を守るためには、九十九人が我慢するということです。
とすると、日本人の民主主義は、九十九人のために一人が我慢する、多数主義だと言わざるをえません。
第三に、ドイツに留学して研究生活を送ったことです。
とりわけ、私が日本にいる時、日本語で書いた神経症や精神症の人の事例研究をドイツ語に訳そうとした時、非常に大きな困難を覚えたことです。
ドイツ語に訳しかえようとすると、日本語が持っている独特のニュアンスが落ちてしまうのです。
一例として、日本語の人称表現を取りあげましょう。
日本語では、一人称は、たとえば「私」とか「僕」とか「俺」とか、さまざまに表現されます。
それに対応して、二人称としては、「あなた」とか「きみ」とか「おまえ」とか、というような表現が用いられます。
言いかえると、私たちの自分のとらえ方は、相手との関係(間柄)によって、変わってくるということです。
(ここでは、その細かい使い分けについては省略します。)
ということは、日本語には、英語の‘I’やドイツ語の‘Ich’のような、一貫して変わらない、一人称の表現がないということを意味しています。
私たち日本人には、相手との関係によらない、一貫した自己認識の必要がなかったことを意味していると言ってよいでしょう。
このほかにも、私がドイツ語に翻訳することが困難だと思った日常用語をあげてゆけば、きりがありません。
和独辞典を引けば、ある日本語に対応するドイツ語を一応見つけることができるのですが、私が分析したいと思っているニュアンスが欠けているのです。

つづく・・・

次回は「私の日本人論」をお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに!

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