セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 294 号 2019年 6月 1日
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みなさん、こんにちは。

「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。

みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?

これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。

私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。

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連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
  1号〜「自分の心に出会える本」
 23号〜「自己形成学の創造」
 32号〜「セルフ・カウンセリングの方法」
 62号〜「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」
136号〜「大人の自己発見・子どもの再発見」
176号〜「自分を見つける心理分析」
286号〜 新連載「避けられない苦手な人とつきあう方法」

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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。

そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう その人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探究の方法が基礎になっています。


☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆


セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。

家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。

テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。

もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。

自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。

まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。

して、相手の気持ちがわかります。

そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。

人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。

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「避けられない苦手な人とつきあう法」
渡辺康麿著  より抜粋
( vol . 9 )
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― 第二章 ―
避けられない職場の人間関係
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ー 同僚 ー
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花田まり[会社員・20代女性]

前号からの続きですので、 バックナンバー293号からお読みいただくとわかりやすくなっています。


☆★☆その時の私の感情を見つめて☆★☆

〈でも、皆も見てるし、いまさら引き返したり、知らんぷりはできないよ〉
〈まるでわたしが泣かしているみたいじゃない〉という心のセリフから、私が周囲の目をとても気にしていることに気づきました。

また、Kさんに声をかけることに“義務感”を感じていたことに気づきました。

この場面を読み返しているうちに、泣いているKさんに対して、私は冷たい仕打ちをしていたように思えて、ショックを受けました。

けれども、〈あー、もう何て言ったら、Kさんは納得するんだろう?〉
という文からは、私がKさんを避難するばかりではなく、どのように対応したら良いのか、思いめぐらせていたことも見えて来ました。

私なりに、Kさんを受けとめていたのだなと思い、少しホッとしました。

また〈パニクルと、その場を収めるために、口から適当なことを言っちゃうんだから。
今だって、他の言い方もあっただろうに、私ったら、その場にいる人に都合が良いように言っちゃうのよね>という文から、
私は、その場限りの発言をした自分の“その場の雰囲気に流されやすい傾向”に対して、以前から嫌悪感を抱いていたことに気づきました。


☆★☆ 義務感で対応していた私 ☆★☆

〈まずいところに来ちゃったなぁ〉という心のセリフに表れているように、私の中には、終始一貫して、“トラブルに巻き込まれたくない” という欲求がありました。

そのような欲求がある私にとって、泣いているKさんは、すでにトラブルそのものでした。
そして、Kさんとかかわらなければならない、という事態に、私自身、はじめから敗北感のようなものを感じていました。
けれどもその反面で、私は〈とにかく、何とか声をかけなくちゃ〉と思っています。

そこには私自身の“困っている人には、声をかけるべき”という規範から来る“義務感”があったことに気づきました。
そして、本当に心配する気持ちよりも、義務感からKさんに声をかけた自分に対して、“嫌悪感”を感じました。

また“心配するフリを上手にしたい”という思いがあったことに気づいた時には、大変ショックを受けました。


 

☆★☆ 欲求から見えてきた私の葛藤 その1 ☆★☆

さらには、〈でも、皆も見てるし、いまさら引き返したり、知らんぷりはできないよ〉という心のセリフからは、
“皆から冷たい人間だと思われたくない”という欲求があったことが分かりました。
他方、そのあとの心のセリフからは、“心に思ってないことを口にしたくない”“偽善者になりたくない”という欲求が取り出されました。

このように、相反する欲求が、私のなかで葛藤となっていたことに気づきました。
この段階で、すでにひとつの葛藤が生じていたのです。


☆★☆ 私の葛藤 その2 ☆★☆

そして、探求を進めるうちに、私はKさんとのかかわりのなかで、さらなる葛藤を抱いていたことに気づきました。
それは、〈まだ入ってきたばかりだから、よく分からないんだけど、どうも私、苦手なのね〉という心のセリフに表れていました。
そこには、“Kさんと上手く付き合いたい”という欲求と、“Kさんとかかわりたくない”という欲求がありました。
私は、Kさんと上手く付き合いたいのだけれど、思うように上手く付き合えない(泣き止まない)ので、もうかかわりたくない、という思いです。
これが、二つ目の葛藤です。


☆★☆ 私の葛藤 その3 ☆★☆

そして、この場面には、さらに、もうひとつの葛藤がありました。
それが表れているのが〈私って、イヤな奴だなぁ。パニクルと、その場を収めるために、 口から適当なことを言っちゃうんだから〉などの心のセリフです。

私は、一方では“迎合したくない”“その場限りの発言をしたくない”という欲求を持っています。
しかし、他方では、“その場を収めたい”“トラブルを避けたい”“その場の雰囲気を壊したくない” という欲求を持っていました。

この時点で、私は“迎合したくない”という欲求と、 それと相反する、“この場を収めたい”という欲求とを持っていたことが分かりました。
それが自分のなかで、気づかないうちに葛藤になっていたのです。
そして、この時には、“その場の雰囲気を壊さずに収める”といことが、“迎合したくない気持ち”を抑えるほどに強かったのだ、と気づきました。


☆★☆ 抑え込んでいた欲求があった ☆★☆

このことから、私は、自分の希望する状態よりも、周囲との協調を重要視していたのだと気づきました。
ここで私は、泣いているKさんの肩を持つような言葉を言って、 無自覚的に“その場の雰囲気を壊さずに収めたい”という欲求を満たしていました。
そのため、“迎合したくない”という欲求のほうは満たされずに、不満感となって残ったのだと思います。
無自覚のうちに、自分の中にあった“迎合したくない”という欲求を抑えていたからこそ、 その不満感を引きずり、“今でも思い出したくない場面”になってしまったのではないか、と気づきました。


☆★☆ Kさんの欲求に思いをめぐらせて ☆★☆

相手欄の洞察をして、泣いているKさんの様子から、入社したばかりで、まだ友だちもいなくて心細かった思いが推察されました。
だから、注目してほしくて、目立つ場所で泣いていたのでしょう。
また、“Kさんは「どうしてSさんが、あんなにイジワルするのか、私には分からない」 と泣きながら言った”という文から、Kさんの欲求を、次のように考えました。
“Sさんが私に、イジワルしたことを分かってほしい”“イジワルされて悔しい私の気持ちを分かってほしい” “すべての私の気持ちをわかってほしい”という三つの欲求です。
ただ単に、私に分かってほしい、というだけでなく、Kさんの感情に共感してほしかったのだと気づきました。
全体を読み返してみると、私は、Kさんの三つの欲求に対して、“〈とりあえず、Sさんのイジワルな態度に悲しんでいるというか、 怒っていて悔しいみたいだから、そういう人だということを言えば、落ち着くかな〉と思った。”“「まぁ、Sさんはそういう人なんだからさ、 あまり気にしないでだいじょうぶだよ」”“私は、Kさんの肩に手を置いた”というように、Kさんの欲求を推測して、慰めていました。
私は私なりに、Kさんのことを考えていたのだ、と気づいたとき、私はとても安心しました。


☆★☆ 自らの問いに答えが出せた ☆★☆

この場面で、私と対峙していたKさんの欲求に、私なりに応えていたにもかかわらず、 なぜこれほどまでに私が自己嫌悪に陥り、イヤな気分になったのでしょうか。
私は、自分のなかに、“こうすべきである”とか“こうしてはならない” というような規範をたくさん抱え込んできていたからではないか、と思いました。また、
その規範がぶつかり合って、たくさんの葛藤を生み出したのではないか、と思いました。
研究動機に書いた、二つの疑問についても答えは次のとおりです。
この場面について、いまだに嫌な思いがするのは、この時、私のなかにいつもの葛藤があったのに、 それらを自覚できていなかったためです。
この時、どう対処していたら良かったのか、については、Kさんの言い分をただ黙って聞いて、 Kさんの思いをそのまま受けとめていればよかったのだと思いました。
これから先、同じような場面に遭遇した時には、相手の話に十分に耳を傾けて、相手の思いを受けとめて行きたいと思います。
そして、自分のなかに葛藤が生じたら、焦って片方を切り捨てるのではなく、自分のなかの葛藤をきちんと突きとめて、 解決の時が訪れるまで、大事に抱えていられる自分でありたい、と思っています。


へつづく・・・


次回は「避けられない職場の人間関係つづき」をお送りいたします。

どうぞ、お楽しみに!

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