セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 298 号 2019年 8月 1日
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みなさん、こんにちは。

「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。

みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?

これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。

私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。

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連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
  1号〜「自分の心に出会える本」
 23号〜「自己形成学の創造」
 32号〜「セルフ・カウンセリングの方法」
 62号〜「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」
136号〜「大人の自己発見・子どもの再発見」
176号〜「自分を見つける心理分析」
286号〜 新連載「避けられない苦手な人とつきあう方法」

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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。

そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう その人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探究の方法が基礎になっています。


☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆


セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。

家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。

テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。

もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。

自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。

まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。

して、相手の気持ちがわかります。

そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。

人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。

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「避けられない苦手な人とつきあう法」
渡辺康麿著  より抜粋
( vol . 13 )
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― 第二章 ―
避けられない職場の人間関係
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ー 教師 → 生徒 ー
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増田陽子 [教員・30代女性]

【記述による発見】

☆★☆私は嫌っていたんだ☆★☆

私は記述をしてみて、次のようなことに気づきました。
この時、私はとにかく、仕事が終わったら、早く帰りたいと思っていました。
それで、高松君にも、早く帰ってもらいたいと思っていました。
私は、生徒とはいつまでも一緒にいたくない、一定の距離をとりたいと思っています。
それで、生徒も教師の私に対して距離をとってほしいと思っているのです。
でも、高松君はいつも私に対して距離を保たずに個人的に話をしたがります。
高松君の話に合わせるのはとても疲れます。
記述を読みながら、ふと、でも、どうして高松君と話すとこんなに疲れるのだろうかという疑問が浮かんできました。
ほかの生徒もときどき職員室に来て、用もないのに話し込んで帰っていくことがあります。
けれども、その生徒たちと話しているときには、私は「早く帰りなさい」とは言っていないのです。
一分でも時間が惜しいのなら、その生徒たちと話す一分も高松君と話す一分も同じ一分です。
でも、高松君以外の生徒たちと話すときには、10分でも、20分でも、ときには小一時間になっても、〈早く帰れ〉とは思いません。
私もその生徒たちとの会話を楽しんでいるのです。
記述の最後の心のセリフに行き着いて、私はハッとしました。
〈でも、高松君って、いっつも私をムシャクシャさせるような言い方をしたり、態度をとったりするんだもん。
しつこいし、ベターってまとわりついてくるような感じで、どうも好きになれないな。
イヤだという思いが顔に出ないようにしながら話すのは苦痛だなあ。
ついイヤミな言い方をしてしまいそうで、疲れるなあ>と思っています。
実は、早く帰りたかったと言うよりも、高松君を嫌いながら、一緒にいたくないと思っていたのだということに気づいたのです。
けれども、私は高松君を嫌っているということを認めたくないのです。
私の心のなかには、先生は生徒を嫌うべきではない、というモノサシがあるからです。
さらに、その奥には、人を見下すような思いを抱いてはいけない、というモノサシもあります。
私は、内心では、高松君を嫌い、見下しているのに、高松君に感づかれないようにと、とても気を遣っているのです。 これでは、疲れても当たり前だと思いました。
自分の心の内に葛藤を抱いているので、私は、高松君の話を、全く聞くことができていません。
ただ、表面をとりつくろっているだけです。


☆★☆ 私に悩みを聞いてもらいたかったんだ ☆★☆

ところで、高松君の気持ちはどうだったのかなと思って、記述を読み直してみました。

高松君が帰り際に「ウチの母親がさあ、ときどき、ヒステリーを起こすんだよね。
ボクに当たることないと思うんだけどねえ」と話しかけています。
このことを、高松君は私に話したかったんだと思い当たりました。
高松君の両親は、以前には共働きをしていたようです。
でも、お父さんの転勤のために、お母さんは獣医の仕事をあきらめざるをえなかったと聞いています。

記述によって、高松君を嫌っている自分に気づき、では高松君の気持ちはどうだったのかと、あれこれ思いめぐらせていたある日のことです。
私は高松君の家の前を通りかかりました。
大学時代の友人の結婚式の二次会の帰りでした。
時刻は午後9時をまわっていたと思います。
人通りのない道を、住宅の窓のあかりが照らし出していました。
突然、「私の人生、かえしてよ!」というものすごい声にびっくりして、声のしたほうを見ました。
高松君のお宅の道路側の窓に、人と人がもみ合うような影が、激しく動くのが見えました。
「こんなに勉強しない子なんて、殺してやる!」
泣き叫ぶような女性の声がしました。
それは、高松君のお母さんの声でした。
そのときの私は、なんだか見てはならないものを見てしまったように感じて、ゾウッとふるえあがってしまいました。
どうやって家に帰ったのか、覚えていません。
数日後の父母会で、高松君のお母さんにお会いしたとき、よっぽど、「いったい何があったんですか?」と聞こうかと思いました。
でも、完璧に化粧してブランドもののスーツにガッチリ身を固めている姿をみると、やっぱり、聞いちゃいけない気がしてしまいました。
高松君のお母さんはとても教育熱心です。
また、父母会でもよくしゃべります。
高松君のお母さんは、高松君の話すことに、耳を傾けることが全くないのかもしれません。
自分だけが一方的にしゃべって、何かのはずみで、ヒステリーを起こすと、高松君に八つ当たりするのかもしれません。
高松君にとってそんな母親のもとにかえるのは気が重いのでしょう。
それで、家に帰りたくないのかもしれません。
私にその悩みを聞いてもらいたかったのかもしれません。
ということは、一応、分かったのですが、でも、やはり、高松君に対する嫌いという感情が私の内に沸き起こってきます。
私は、今まで自分は好き嫌いがないと思っていました。
でも、本当はあったのです。
生徒に対して、距離をとるようにしていたので、好き嫌いがないような気がしていただけなのかもしれません。


☆★☆嫌いな気持ちを詳しく書いてみよう☆★☆

セルフ・カウンセリングの教室で、講師の先生にこの記述を見せたところ、嫌いな感情から自由になるには、 嫌いだという感情をとことん書くことがもっともよい方法だと教えてくれました。

そこで、私は、高松君とのかかわりをいくつも書いて、自分の思いをできるだけたくさん表現してみました。
〈しつこいなあ〉とか、〈まつわりつかないでよ〉とか、〈ムカつく〉とか、〈大嫌い〉とか、
とても人には言えないようなひどい言葉が、たくさん出てきました。
書いているとき、そういう自分が嫌になってしまって、途中で書けなくなってしまったことが、しばしばありました。
講座に行くと、みんな記述を書いてくるので、それもプレッシャーになりました。
みんな、といっても、今思えば書けない人もいました。
でも、そのときの私は、みんな、と感じました。
書けば書くほど、嫌な自分、見たくない自分の気持ちが現れてくるのです。
しんだいなあ、と思いました。
それでも、書き続けていくうちに、だんだん自分の気持ちが落ち着いてくるのが分かりました。
〈嫌だ〉という気持ちは、起こるけれど、その自分の気持ちに振り回されることがなくなってきたのです。


☆★☆話に耳を傾けたら、早く帰るようになった☆★☆

嫌いという感情の記述を始めて2か月ほどしたある日、私は高松君の顔を見ても、嫌だなあという気持ちがしないことに気づきました。
授業が終わり、大方の生徒は帰っていきました。
私は教室で学級日誌にコメントを書き加えていました。
教室に残ったのは、女子の仲良しグループと、三人の男子(Aくん、Bくん、高松君)でした。
女の子たちは、「2階のトイレに霊がいる」という話題で盛り上がっていました。
怖がってキャーキャー叫んでいたかと思うと、今度はケラケラ笑い声を残して教室を出ていきました。
そのうち、AくんとBくんが声をかけあって、家路についてようでした。
いつものように、高松君が一人残りました。
高松君は学級文庫のマンガ本を手にとっていました。
ちょっと読んでは、別のものを物色することを、くりかえしていました。


【場面記述】

私は、日誌をつけながら、〈高松君は、やっぱり、家に帰るのが嫌なのかなあ、 ほかの子たちは、友達どうし誘いあって帰るのに、高松君はいつも一人だなあ。
どうしたのかなあ〉と思った。

私は、チラッと腕時計を見た。腕時計の針は、4時46分を指していた。

私は〈やっぱり帰りたくないのかなあ、お母さんが嫌いなのかなあ。
もうすぐ5時になるというのに〉と思った。

私は「高松君、どうしたの? 高松君は、いつも一人で残っているんだね」と言った。

私は〈私って、変わったなあ。自分から、話しかけたりして〉と思った。

高松君は「アノネ、早く帰ると、お母さんと顔あわせちゃうでしょ。
お母さん、ボクの顔見ると、嫌そうな顔でうるさく言うんだよ。
お父さんが帰っているときは、何も言わないけれどね。
だから、お父さんが帰ってなくて、塾もない日は、いつも本屋さんとかに行って時間つぶしをするんだ。
どうして、母親って、しつこく、いろいろ言うんだろう」と言った。

私は〈高松君は、本当に、お母さんが嫌なんだなあ〉と思った。

私は「そう。しつこいんだ」と言った。

高松君は「そう、うちの母親はサイテイ。
陽子先生のお母さんはどんな人だった?」と言った。

私は〈最低なんて、かわいそうだなあ。
私は、恵まれているのかなあ〉と思った。

私は「明るい人だよ」と言った。

高松君は「いいなあ。
ボクは、陽子先生のような人がお母さんだっったらよかったなあと思うよ。
だって、グアグダ言わないし、僕が話しかけないとはなさないでしょう。
あいつは、ボクの言葉なんか聞かない。
一人でしゃべって、一人でコーフンして、一人でヒステリー起こしてるんだ。
お父さんが帰ってくると、なにも言わなくなる。
二重人格だよね。
陽子先生のような人が、ボクは好きだ。
尊敬できるもん」と言った。

私は〈恥ずかしいなあ。
こっちは嫌っていたのに、尊敬されたりすると困るなあ〉と思いながら、うなずいていた。

高松君は「それにさ、妹は京子っていうんだけど、京子にはなにも言わないのに、ボクの顔を見ると勉強しろ!とか言うんだ。
アタマにくることがいっぱいある。
あー。
でも、陽子先生の仕事のジャマだから、もう帰ります。さよなら」と言った。

私は「さよなら」とあわてて言った。

高松君は教室から出て行った。

私は腕時計を見て、〈え! 話始めてから、10分もたっていない!〉と思った。

私は席を立って教室の前も入り口のところから顔をだして、廊下を見た。
遠くに、帰っていく高松君の、小さな後ろ姿が見えた。


☆★☆心のカラクリは私と同じだった☆★☆

私は、高松君に抱いていた嫌悪感を書き表すことを通して、その感情から自由になった私の経験を生かしてみようと思いました。
つまり、高松君にも、お母さんとのやりとりを書くことを勧めてみたのです。
高松君は、すぐに記述を書いてきました。
高松君は、お母さんが話し始めると、 聞きたくない気持ちを抑えながら聞いていたのです。
でも、我慢できなくなって「うるせえ!」などと、怒鳴ってしまっていたのです。 すると、お母さんが激怒して、いっそう、興奮してしまうというパターンをくりかえしていたことが分かりました。
私の高松君に対する感情のからくりと同じだったことが分かり、私は心ひそかにギクリとしました。
そして、感情を抑えると、爆発してしまうことを、話して聞かきかせました。
高松君は、感心した様子で聞いていました。
一か月もしないある日、高松君が「お母さん、少し変わってきたんだよ。
このごろ、ヒステリー起こすの少なくなったし、お説教の時間が短くなったんだ」と言うのです。
私は、高松君が、変わってきたからだろうなあと思って、うれしくなりました。


へつづく・・・


次回は「避けられない職場の人間関係つづき」をお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに!


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