セルフ・カウンセリング 自分の心に出会えるメルマガ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ セルフ・カウンセリング ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪ ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 第 308 号 2020年 1月 1日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ みなさん、こんにちは。 「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。 みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか? これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。 私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。 楽しくお読みいただけたら幸いです。 〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜 連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。 1号〜「自分の心に出会える本」 23号〜「自己形成学の創造」 32号〜「セルフ・カウンセリングの方法」 62号〜「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」 136号〜「大人の自己発見・子どもの再発見」 176号〜「自分を見つける心理分析」 286号〜 新連載「避けられない苦手な人とつきあう方法」 〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜 ********************************** 人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。 そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう その人なりのモノサシを形作っていきます。 自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。 セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探究の方法が基礎になっています。 ☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆ セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。 家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。 テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。 もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。専門知識も必要ありません。 自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。 まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。 その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。 して、相手の気持ちがわかります。 そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。 人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。 ********************************* 「避けられない苦手な人とつきあう法」 渡辺康麿著 より抜粋 ( vol . 23 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ― 第三章 ― 避けられない家庭の人間関係 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ー 夫 → 妻 ー ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 秋山義雄 [40代男性] ☆★☆自分の気持ちが影響を与えていた☆★☆ 私は当初、このケンカは、偶然起こったことだと思っていました。 ところが、記述を読み返してみると、この出来事の背景には、ディズニーランドに行くこと自体に対する私の気持ちが、 大きくかかわっていることに気づきました。 妻や子供をディズニーランドに連れていく自分のことを〈妻や子供たちへサービスをしている〉 〈父としての義務感から付き合っている〉と、最初から考えていたのです。 ですから、8時間も一緒にいたことで、私のなかでイライラが次第に募っていき、 些細なことで感情的になってしまったのだと思います。 私は妻の言葉に対して、〈おれの責任じゃない〉〈それを捨てなかったのは、妻なんだから〉というように、 自分が悪くないことを必死で弁解していました。 このときの私は、自分が母親から叱られているような居心地の悪さを感じていたことに気づきました。 ☆★☆妻から見捨てられる不安感☆★☆ 私は妻に対して“大人らしく振る舞ってほしい”という欲求を持っていました。 しかし、これは妻に対する非難だけではなく、自分に言い聞かせるための、欲求でもありました。 私は、妻の言葉に我慢ができなくて、大声で言い返しました。 そんな自分に対して、気恥ずかしさを感じていたのです。 それから、“険悪ムードを早く終わらせたい”という欲求が生まれてきたのだと思います。 私は〈自分の責任ではない。妻が悪い〉という思いを持っていましたが、一方で〈もう少し、缶を振って中身を出しておけばよかったのに〉 という思いもありました。 この二つの気持ちが葛藤を起こしていたことに気づきました。 私のなかには、自分のやったことが失敗だったという思いがあり、妻に対して〈悪いことをしてしまった〉という落ち着かなさを感じていました。 私は、〈妻は、この場面の間中、ずーっと、私に腹を立てていた〉と思っていましたが、途中から、妻は、余り私を避難しなくなっていました。 妻も、人前でケンカをしたことを照れくさく思って黙っていたのかもしれません。 でも、私は〈妻は、まだ怒りが鎮まらないので、私を無視している〉と受け取っていました。 この場面全体で、私は妻の言葉に刺激を受け、いろいろな思いを抱いています。 しかし、言い返したのは一回だけです。 なぜ、その時だけ、はっきりと言い返したのか、と疑問になりました。 考えてみると、おそらく「何をやらせても駄目なんだから」「こんなことも気がつかないの?」 「もういい、あんたには何も頼まない!」という妻の言葉だろうと思います。 この言葉で、私は、“自分の行動は失敗だった”というだけでなく、“自分の人格を根本から否定された”と感じたのではないでしょうか? そして、妻から否定されているばかりでなく、自分でも自分のことを“役立たずで、無能で、しょうがない奴だ”と否定せざるをえなくなりました。 自分でも、自分のネウチを否定せざるをえなく、落ち着かなくなってしまったのです。 その自分の不安を打ち消すために、妻に対して〈自分は無能じゃない! 取り消せ! 今の言葉は許せない!〉 という激しい怒りの思いを抱いたのだ、と思います。 それが大人げないケンカにつながったのではないか、と思いました。 最後の局面で、私は妻に対して“怒りを鎮めてほしい”“だらだらと怒らないでほしい” “ブスッとした顔をしてほしくない”“私の気持ちも分かってほしい”などの欲求を持っています。 私自身の欲求としては“妻の怒りをなだめたい”“妻の怒りをなんとかしたい”という欲求が取り出されています。 これらの欲求から、私のなかに〈妻から本当に嫌われたらどうしよう〉という恐れのきもちがあることに気づきました。 私は妻から見捨てられる不安感をもっていたのだなあと思いました。 ☆★☆感情の変化を追って☆★☆ 私の感情は、不安→後悔→怒り→情けなさ→すまないという感じ→うんざり→惨めさ、と変化しています。 私は最初、ココア缶がこぼれたことを知った時に、不安を感じています。 こういう事態になったことに対して、不安を感じているのです。 そして、すぐに、ココア缶を捨てなかったこと、ちゃんとこぼしておかなかったことを後悔しています。 次に、このような事態になったことの責任を、妻がココア缶を捨てなかったからだと思っています。 つまり、自分の責任ではないという怒りの気持ちが湧いてきています。 そして、その怒りをぶつけた後では、ケンカをした自分に対して“情けない”“恥ずかしい”“きまりが悪い”と感じています。 ケンカをして、子供たちに心配をかけたことに対しては“すまない”と感じています。 このすまないという気持ちの奥には〈もう少し、缶を振っていれば、こぼれなかったかもしれない。 皆に迷惑をかけてしまった〉という思いがありました。 妻が「もう、帰りましょう」と言った後では、8時間も皆の相手をしたことに“うんざり”しています。 体力的な疲労感や、空腹感も根本にあったようです。 最後に、妻の機嫌を気にしている自分に“惨めさ”を感じていました。 ☆★☆怒鳴り返したわけが分かった☆★☆ 研究動機で、私は“なぜ妻の言葉によってイライラし、大声で怒鳴り返したのか、という理由を知りたい”と思っていました。 同じような妻の言葉でも、このようにならないこともあったからです。 今回の研究を通じて、私がどうして周囲の目もはばからず、妻とののしりあったのか、よく分かりました。 この場面で、〈妻は私の行動を避難しただけではなく、私の全人格を否定した〉と、私は感じたのです。 妻の言葉によって、私は自分で自分の存在価値を否定せざるをえなくなったのです。 この自己評価不安が、妻との大ゲンカを引き起こした原因になったのだと思います。 セルフ・カウンセリングのテキストを読むと「私たちがもっとも落ち着かなくなるのは、 自分でも自分のネウチを否定せざるをえなくなった時です」と書いてあります。 今、思い出すと“あの時の逃げ出したい気持ち、惨めな気持ち”が、私のつらさであったことが分かります。 このことに気づいたとき、今まで頭のなかの知識だけだったことが、体全体で理解できた感じがしました。 胸がジーンとして、思わず感動の涙が出てしまいました。 そうです。 自分が不器用であること、はっきりと自己主張できないこと、気弱なことなどの欠点を、 妻から鋭く指摘されたと感じ、私は、自己評価不安に陥っていたのです。 自己評価不安に陥らない時には、妻にいくら言われても、言い返すことはありません。 自己評価不安にならなければ、私の心には余裕があり、平気で受け流すことができるのだということが、 はっきりと分かりました。 今、冷静に考えると、“缶からココアがこぼれる可能性があること”を、 最初から面倒がらずに伝えておけば、妻もこんなに怒らなかったと思います。 妻の言葉にも、深い意味はなく、ただ感情的になって、とっさに出たものだと思えるようになりました。 【今後の課題】 ☆★☆隠された自分の内面☆★☆ 今回の研究では、自己評価不安に陥るということが、どれほどつらいものであるのか、はっきりと理解できました。 他人事として、頭で理解するのではなく、自分の身を通じて実感できました。 この私の自己評価不安は、父親との関係からきているのではないか、ということも、薄々感じました。 私の父親は、学力優先の考え方をする人でした。 兄弟の間でも、成績優秀な者を溺愛し、そうでないものにはつらく当たっていました。 父が「勉強ができないものは、クズだ。 おれの思うようにできない奴は、人間として最低だ。 もう知らんからな」と言っていたのを思い出します。 また、母親とのかかわりでも、思い出したことがあります。 母は小さい頃から病弱で、入退院をくりかえしていました。 当時、4〜5歳だった私に、「私は、もう長くない。死ぬのは近いから、新しいお母さんがきたら可愛がってもらってね」と、寝床で言うのが常でした。 その時、私は母親から見捨てられたように感じました。 そこでの感情が、この場面での〈妻から、本当に嫌われたらどうしよう〉という心のセリフにつながっているように思います。 詳しいことは、これからの研究を待たなければなりません。 今は、両親についての思い出をセルフ・カウンセリングすることによって、隠れた自分の内面をみていけるのではないか、と考えています。 これからは、自分がセルフ・カウンセリングをするだけでなく、周囲の人にもひろげていきたいと思っています。 その時には、精神科医の立場から、患者にセルフ・カウンセリングを無理強いするのではなく、本人が自発的にセルフ・カウンセリングに取り組むようになることを 待ちたいと考えています。 つづく・・・ 次回は「避けられない家庭の人間関係つづき」をお送りいたします。 どうぞ、お楽しみに! |
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