※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                                            セルフ・カウンセリング          ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪             ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                     第 347 号  2021 年 8月  15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※    新型コロナウィルス感染症の影響で苦しみのうちにあるすべての皆さまへ    心よりお見舞い申し上げます。    またその方々のために献身的に働いておられる医療関係者の皆さまへ    そして社会のライフラインを維持するために働かれている皆さまへ    感謝申し上げますとともに一日も早く元の平穏な日々に戻りますことを    心よりお祈りいたします。     **************************************    みなさん、こんにちは。    「 セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪ 」    をお読みいただきありがとうございます。    みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を    耳にしたことがおありですか?    これは、渡辺康麿氏が創案した、    書いて読む、一人で出来る自己発見法です。    私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、    みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、    同氏の著書を連載することにいたしました。    楽しくお読みいただけたら幸いです。   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜    連載になっております。興味のある方は、    バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。       1号〜    「自分の心に出会える本」     23号〜    「自己形成学の創造」     32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」     62号〜    「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」    136号〜    「大人の自己発見・子どもの再発見」 176号〜    「自分を見つける心理分析」 286号〜    「避けられない苦手な人とつきあう方法」 334号〜 新連載「わかっていてもイライラするお母さんへ」  バックナンバーはこちら→https://secure02.red.shared-server.net/www.self-c.net/mg/index.html   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜* ************************************** **************************************    人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、    いろいろな経験をします。        そして、その経験を通して、    「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう    その人なりのモノサシを形作っていきます。    自分の生い立ちを振り返ることによって、    無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、    そのとらわれから自由になっていく方法を    自己形成史分析といいます。    セルフ・カウンセリングという方法は、    このような、自己形成史分析という    自己探究の方法が基礎になっています。        ☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆    セルフ・カウンセリングでは、    自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。        家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。        テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、    相手がいない場面も大切な題材になります。    もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。    専門知識も必要ありません。        自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、    時間の順にそのまま書くと、リポートになります。    まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。    その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。        そして、相手の気持ちがわかります。        そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、    心を通わせてゆくための知恵が生まれます。        人間関係のすべてに共通する心のからくりを、    自分の経験を通して学ぶことができます。 ************************************** **************************************              「わかっていてもイライラするお母さんへ」       幼児の心が見えてくるセルフ・カウンセリング                                   渡辺康麿著  より抜粋                         ( vol . 14 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++          ─ お母さんたちのセルフ・カウンセリング体験記 ─     ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++             5 こんなだから             お友達と遊べないのよ!             友だちと遊べない娘への             いら立ちを見つめて         山崎聡子            さびしかったのは自分自身だったんだ                ( 体験記 5 ー 前半 )  ☆★☆ さまざまなつまずき ☆★☆  私は、子育てが苦手です。  娘が、まだ一歳にならない頃から、うまく子育てが出来ずに悩んでいました。    最初のつまずきは、娘の夜泣きでした。  お腹も空いていないし、おむつもぬれていないのに、  娘は、深夜二時をまわった頃になると、決まって泣き出すのです。    当時、私は、社宅に住んでいました。  娘の泣き声が、隣近所に迷惑をかけるのではないかと、  娘を抱いて、一晩中おろおろと歩き回っていたこともあります。  どうしたら良いのか、途方に暮れて、娘と一緒に、私も泣いてしまうこともありました。    次のつまずきは、離乳食でした。    娘は、ミルクを、ぐいぐいと飲むような子ではありませんでした。  小食なのかもしれないな、とはうすうす感じてたのですが、  離乳期にはいって、その心配は的中してしまいました。  私は、離乳食の本を何冊も買い、さまざまな離乳食を作ってみました。  けれども、どんなに一生懸命工夫して作っても、娘は、ことごとく口から出してしまうのです。    健康診断などに行くと、「もう、何でも食べるのよ」とか、  「大人の食べているものを、欲しがって困るわ」などと言う、他のお母さんたちの話し声が聞こえてきます。  そんな時、私は、身の置き所のないような気分になりました。  ☆★☆ このまま友達と遊べなかったらどうしよう ☆★☆  現在、娘の美紀は、四歳です。    今の私の悩みは、美紀が他の子ども達と遊べないことです。    私は、毎日、美紀を公園に連れて行っています。  美紀は、持っていった道具を使って、砂場で遊んだり、ブランコや滑り台で遊んだりはします。  けれど、他の子たちの様子に興味を持ったり、声をかけたりすることはありません。  他の子から話しかけられても、知らん顔といった状態です。  <美紀は、どうして、お友達と遊べないのかしら。どうやって、   遊べば良いのかわからないのかしら。どうしよう。      私が一緒になって、お友達の中に入っていってあげれば良いのかしら。      でも、いつもいつも私が面倒見られるわけではない。      自分一人でも、お友達と遊べるようになれなくては。      このままでは、幼稚園に入ってからも、ほかの子たちから、仲間はずれにされてしまうわ>    一人で遊ぶ美紀を見るたびに、私は不安で不安でたまらなくなりました。  そして、ついには、夜、ふとんに入ってからも、  そのことが頭から離れずに、眠れなくなるようなことが、たびたび起こるようになりました。  ☆★☆ 「お母さん。ハラハラしていませんか。イライラしていませんか」 ☆★☆  そんな時、近所の公民館で、  『お母さんのためのセルフ・カウンセリング』という講座が開かれることを、公報紙で知りました。   「お母さん。ハラハラしていませんか。イライラしていませんか。   ちょっと立ち止って、子どもとのかかわりを見つめ直してみましょう」  そのコピーに、心ひかれるものを感じました。  まさに、私は、毎日、美紀の様子にハラハラしているのです。  イライラしているのです。  この講座は、私のような母親のためにあるのかもしれない、そんなふうに感じられました。    私は、その講座を受講することに決めました。  ☆★☆ その時の気持ちが一度に押し寄せてしまう ☆★☆  講座の中で、初めに習ったのは、場面記述の書き方です。  先生から、日常生活の一場面を取り上げ、  そのときのことを、書き方のルールにしたがって、出来るだけ具体的に書く、という説明を受けました。    先生のお話をうかがった時には、簡単そうに思えたのですが、  いざ、自分が書き始めると、なかなか難しく、  場面記述用紙を前に、一文字も書けずに、考え込んでしまいました。    美紀との出来事をあれこれ思い起こし、この出来事を取り上げよう、と考えるところまでは出来るのです。  ところが、そのときのことを詳しく思い出そうとすると、  その時のことが、一度にワーッと押し寄せてきて、何から書いて良いか、わからなくなってしまうのです。    書き方のルールにしたがって書くには、そのときのことを時間の順に、具体的に思い起こさなければなりません。    けれども、その出来事を思い起こすと  <あの時、どちらが先に、話しだしたんだろう>とか  <美紀は、どんなことを話したんだったかな>とか  <私は、そのとき、どんな気持ちだったんだろう>とかいうように、  自分に問いかける余裕がなくなってしまうのです。    私は、先生に相談してみました。    先生は  「そのときの気持ちが、怒りや、悔しさや、情けなさや、つらさなどとともに、   つぎつぎと思い起こされて来て、ちょっと立ちどまることが出来なくなってしまわれたのですね。      このような体験をされたのは、初めてなのではないですか?きっと、びっくりされたことでしょう。      けれども、そのような、感情がつぎつぎと湧き上って来るような出来事を取り上げて見つめると、   そこから、思いも寄らないような発見が起こって来るものなのですよ。      とても、適切な出来事を選ばれたな、と思います。      ただ、そのような場合、始めから、書き方のルールにしたがって書く、ということは、難しいと思います。      まずは、書き方のルールにこだわらず、自分の中から湧き上ってくるさまざまな思いをそのままに、   自分な形式で、書きだしてみましょう。      用紙はどのようなものでも構いません。      私への手紙のような形にしたほうが書きやすければ、便箋に書いても結構です。      また、リポート用紙などに、日記のような形で書いてみても良いかもしれませんね。      そのような形でお書きになるうちに、少しずつ、お気持ちが落ち着いて来られると思います。      そうなってから、書き方のルールに従ってお書きになってみれば良いのですよ」とおっしゃいました。  ☆★☆ 私の苦労をわかってもらいたかったんだ ☆★☆  私は、早速、リポート用紙に、自分の中に湧き上ってくる思いを書きつらねてみました。  書き始めると、筆がすらすらと進み、講座の時間一杯、私は書き続けました。  そして、自宅に帰り、美紀を寝かしつけてから、食堂のテーブルに向かって、筆を走らせました。  リポート用紙に10枚ほど書いた頃でしょうか。何となく、気持ちが落ち着くのを感じました。  <先生がおっしゃっていたのは、このことなんだな>と思い当たりました。  すぐに、場面記述に進んでも良かったのですが、せっかくなので、私は、自分が書いたものを読み返してみました。    まず感じたのは、自分が、何度も同じことを書きつらねている、ということでした。  美紀に対する不満、いら立ち、怒り、などを書いた後に、  <私がこんなに心配しているのに>とか  <私の苦労も知らないで>というような恨みが書かれている、  というパターンが、何度も繰り返されているのです。    私は、ふと、  <私は、自分が美紀のために苦労していることを、だれかにわかってもらいたかったのかもしれないな>と思いました。  すると、気持ちが、すーっと落ち着いてきました。    そして、これまでの疲れが一度に出てきたかのように、急に眠気が襲ってきました。  結局、その日は、リポート用紙を片付け、そのまま休んでしまいました。  その夜、私は、何日ぶりかで、ぐっすりと眠ることが出来ました。    翌日、改めて、リポート用紙と、場面記述用紙を取り出してみました。  すると、不思議なことに、場面記述がすらすらと書けるのです。  以前のように、一度に、さまざまな思いが湧き上がって来る、ということは、なくなっていました。  リポート用紙に、気のすむまで、自分の思いを書きつづったことで、少し余裕が生まれてきたのかもしれません。  ■場面〈1〉  【同じ年頃の子がこわく遊べないのかしら?】  【場面説明】  七月の末 午前十一時頃  暑い日だったので、美紀にせがまれて、市営プールに出かけた。  始め、美紀は、小学生用のプールで遊んでいた。  浮き輪でパチャパチャ泳いだり、私の手につかまって、バタ足の練習をしたりした。  その後、美紀は、幼児用の浅いプールに行き、一人で遊んでいた。  私は、木陰のベンチに座って、本を読んでいた。  ふと気が付くと、美紀は、浮き輪をしたまま、私の足元に座り込んでいた。  【場面記述】  私は  <あら、美紀ったら、いつの間にか、こんな所に座り込んでいる。        いやだわ、遊びもしないで、座り込んで。        どうして、プールで遊ばないの!>と思った。    私は「美紀ちゃん、どうしたの!?」と言った。    美紀は、私を見上げた。    美紀は、口をとがらせた。    私は  <美紀ったら、不満そうな顔して!        自分から、プールに来たいって言ったくせに!        私が、無理に連れてきたんじゃないんだからね!>と思った。    私は  「どうしたの!?どうして、遊ばないの!?せっかく連れてきてあげたのに。        遊ばないのなら、帰るよ!」と言った。    美紀は、目に涙をいっぱいためた。    私は  <また、すぐ泣く。いやだわ!        こんなことだから、いつまでたっても、お友達ができないのよ。        今日だって、同じ年頃の子どもたちが、まわりにいるんだから、一緒に遊べば良いのに。        どうして美紀は、ほかの子どもたちと遊べないのかしら。同じ年頃の子が、恐いのかしら。        他の子が恐くて遊べないのかどうか、美紀に聞いてみようかな。        でも、何だか聞きたくない気がするな。        本当に美紀が、同じ年頃の子どもが恐くて、遊べないとしたら、どうしよう。        どうしていいのか、わからなくなる。        聞くのは、やめておこう>と思った。  ☆★☆ 表現し、見つめることで、心の余裕が生まれてきた ☆★☆  私は、次の講座の時に、先生にこれまでの経緯をご報告し、記述を見ていただきました。  先生は  「リポート用紙に十枚も書けたのですか。         山崎さんの中に、訴えたい思いがたくさんあったのですね。         それを、リポート用紙の上に、十分に表現しつくすことが出来たのですね。         自分の思いを書く、ということは、自分自身を少し、客観的に見つめなければ出来ないことです。         この、“自分を客観的に見つめる”ということが、実は、とても大切なことなのです。         自分を客観的に見つめたからといって、それで現実が、変わるわけではないのですけれど、   見つめることで気持ちが落ち着いてくるのです。とても良い体験をなさいましたね。         それだけではなく、ご自分の書かれたものを読み返されて、ご自分が一番訴えたかったことが、  “こんなに心配しているのに”とか“人の苦労も知らないで”というような、   美紀ちゃんを恨むような気持ちであることにも気づかれたんですね。         先ほど、書くことによって、自分を客観的に見つめることができる、とお話ししましたが、   書いたものを読み返すことで、自分自身をあらためて受けとめ直すことが可能になるのです。         セルフ・カウンセリングでは、自分の内面の動きをありのままに書き表し、   書き表されたものを繰り返し読み返す、ということを、何よりも大切なこと、と考えています。     リポート用紙に、ご自分のお気持ちを言葉で書き表すことが出来てきたので、   自然と、山崎さんの中に、心の余裕が生まれてきたのではないでしょうか。   それで、それまで、書かなかった記述が、思いがけなくすらすらと書けるようになったのだと思いますよ」   とおっしゃいました。     私は、先生のお話を聞き、何となく納得出来たような気がしました。   自分の気持ちを見つめ、言葉に表現し、それを読み返すことで、   私の中で、固まっていたしこりが、やわらかく解きほぐされたのです。   あの晩、良く眠れたのも、きっとそのせいだと思いました。  ☆★☆ まだ表現されていない思いがあった ☆★☆  先生は、私の記述に目を通されました。    そして「とても良く書けていらっしゃいますよ。特に、心のセリフが、よく書けていますね。    このとき、山崎さんは、美紀ちゃんの様子にとてもイライラなさったのですね。  その山崎さんの思いが、心のセリフの一つ一つに込められているような気がしました。  でも、まだ、山崎さんの思いのすべてが表現されていないような気がします。    たとえば、山崎さんの心のセリフの中には、“!”がたくさん出てきますね。  心の中で、強く訴えているようなセリフが多い、ということなのではないでしょうか。  その強く訴えているお気持ちが、“!”の中にこめられているように感じるのです。    山崎さんが、“!”の中に込めているお気持ちも、心のセリフの中に表現すると、どうなるでしょうか。    まずは、この時のお気持ちをよく思い返しながら、記述を繰り返し読んでみましょう。  そして、まだ、心のセリフの中に表現されていない、  強い心の波立ちを、思いきって言葉で表現してみましょう」とおっしゃいました。    私は、びっくりしてしまいました。  <そんなことはないわ。   心のセリフの中に、私の思いはすべて書き尽くされているもの。   これ以上書き加えるようなことはないわ>と反発するような思いが起こってきました。     けれども、  <でも、まあ、読み返すだけでも読み返してみようかな>と思い直し、記述を読み返してみました。  ☆★☆ 心のセリフが詳しくできた ☆★☆  読み返してみて、<確かに、“!”が、たくさんあるな>と感じました。    たとえば、私は、“いやだわ”と書くのではなく、“いやだわ!”と書いています。  心の中で、私は、普通の口調で、“いやだわ”とつぶやくより、  もっと強い口調で、“いやだわ!”とつぶやいているのです。    私は、心のセリフを、強い口調で、声に出して読み返してみました。  すると、このときの、気持ちが、少しずつよみがえってきました。  <私は、このとき、かなり興奮して、感情的になっていたんだ。      そうだとすると、ここに書かれている心のセリフでは、少し、もの足りない気がする。      感情的になってしまった気持ちを、言葉で表現するとどうなるのだろう>    私は、心のセリフを少し詳しく書き直してみました。    最初の<あら、美紀ったら、いつの間にか、こんな所に座り込んでいる。  いやだわ、遊びもしないで、座り込んで。  どうして、プールで遊ばないの!>という、心のセリフは次のように書きふくらみました。  <あら、美紀ったら、いつの間にか、こんなところに座り込んでいる。     もう疲れちゃったのかしら。     めずらしく自分からプールに行くって言ったから、今日こそは、元気に遊んでくれると思っていたのに。   やっぱり、いつものとおりじゃない。     まったく。     いつになったら、他の子達みたいに、元気に遊べるようになるのかしら。     こんなところに座り込んで、情けない!     ちょっとくらい疲れたって、せっかく来たんだから、我慢して、遊べばいいのに。     ああ、イライラする!>    また、次の<美紀ったら、不満そうな顔して!自分から、プールに来たいって言ったくせに!  私が、無理に連れてきたんじゃないんだからね!>という、心のセリフは、次のようになりました。  <まあ、不満そうな顔をして。     なんて顔をするのかしら。     まるで、ママが無理やり連れて来るからいけなんだって言わんばかりじゃない。     自分がプールに来たいって言ったくせに!     私が無理に連れてきたんじゃないのよ。     楽しく遊べなくったって、自分のせいじゃない。   お友達と遊べなくてつまんなくたって、自分のせいじゃない。人のせいにしないででほしいわ>    最後の、  <また、すぐ泣く。   いやだわ!こんなことだから、いつまでたっても、お友達ができないのよ。   今日だって、同じ年頃の子どもたちが、まわりにいるんだから、一緒に遊べば良いのに。   どうして美紀は、ほかの子どもたちと遊べないのかしら。   同じ年頃の子が、恐いのかしら。   他の子が恐くて遊べないのかどうか、美紀に聞いてみようかな。   でも、何だか聞きたくない気もするな。   本当に美紀が、同じ年頃の子どもが恐くて、遊べないとしたら、どうしよう。   どうしていいのか、わからなくなる。   聞くのは、やめておこう>という心のセリフは、次のようになりました。  <また、すぐ泣く。     何て弱虫なんだろう。こんなだから、いつまでたっても、お友達と遊べないのよ。      ああ、イライラする。     同じ年頃の子ども達は、元気よく遊んでいるっていうのに。元気よく、あの中に入っていければ良いのに。     美紀に友達遊びは、まだ無理なのかな。ひょっとしたら、同じ年ごろの子が、美紀は恐いのかもしれない。     美紀に、他の子が恐くて遊べないのかどうか、聞いてみようかな。     でも、何だか聞きたくない気がするな。     美紀が、同じ年頃の子どもが恐くて、遊べないんだったら、どうしよう。     私だって、人づきあいが苦手で、ひっこみじあんなのに。私には、何も言ってあげられない。     やっぱり、聞くのは、やめておこう>  ☆★☆ 期待がはずれたから、イライラしたんだ ☆★☆  書きふくらませた心のセリフを記述の中に書き加え、私は、もう一度、記述を読み返してみました。  すると、今まで気づかなかったことが見えてきました。  一つは、このとき、私はいつも以上に、美紀に大きな期待をかけていた、ということです。  私は、美紀に、元気よく、積極的に遊んでほしいとずっと願っていました。  ですから、公園や遊園地、地域の集まりなど、子どもたちが集まるところに、  美紀をできるだけ連れ出すようにしていました。  けれども、そのようなところに行っても、  美紀は、私のそばにくっついているだけで、子ども同士では遊ぼうとしません。  私は、内心イライラしながらも、  <私が無理に連れて来たんだもの。仕方ないわ>と自分に言い聞かせてきました。  ところが、このときは、美紀のほうから行きたいと言い出したのです。  私は、喜びいさんで、美紀を連れだしました。  <今日は、自分から言い出したんだから、きっと元気に遊んでくれるわ。   ひょっとしたら、お友達も出来るかもしれない>そんな期待を、私はもっていたのです。  その期待が大きかったからこそ、あいかわらずの美紀の姿が目に入った時、  私は、いつも以上にイライラしてしまったのではないでしょうか。  ☆★☆ 一人でイライラしていた ☆★☆  記述を書き入れる場面記述用紙には、真ん中に、一本の縦線が入っています。  この縦線より右側に、自分のことを書き、左側に相手のことをかき分けます。  このように書くことで、  全体を読み返すことも、自分の行動だけを読み返すことも、相手の行動だけを読み返すこともできるのです。    これまで、私は、記述全体を読み返してきました。  そこで、次に、記述の自分の欄だけを読んでみました。    読んでみて、まず感じたのは、  <私は美紀が友達遊びができないということに、とてもこだわっているな>ということでした。  <楽しく遊べなくったって、自分のせいじゃない。   お友達と遊べなくて、つまんなくたって自分のせいじゃない>  <こんなだから、いつまでたっても、お友達と遊べないのよ>  <同じ年ごろの子ども達は、元気よく遊んでいるっていうのに。   元気よく、その中に入っていければ良いのに>    このような心のセリフから、  私が、美紀が友達と遊ぶことが出来ないことに、イライラしていたことが見えてきました。     今度は、記述の相手の欄を読んでみました。    美紀は、私を見上げた。    美紀は、口をとがらせた。    美紀は、目に涙を一杯ためた。    相手の欄に書かれていたのは、これだけです。    美紀が、一言もしゃべっていなかったことに、このとき初めて気がつきました。    それにしても、私の心のセリフに比べて、美紀のことは、これしか書かれていないとは・・・。  改めて驚きを感じました。    私は、最後に、自分と美紀とのかかわりに注目して、記述全体を読み返してみました。    私は、美紀が私の足元にしゃがんでいるのを見て、  すぐに、<疲れてしゃがみこんでいるんだ>と感じました。  けれども、美紀の口から、「疲れちゃった」と言う言葉を聞いたわけではありません。     また、私は、美紀が友達と遊ばないのを、  <美紀は、同じ年頃の子が恐いのかもしれない>と推測しています。  けれども、これまで、美紀が、  『ほかの子が恐いから、遊びたくない』と言ったことなど一度もありません。  まして、このとき、美紀は、何も言っていないのです。    美紀の気持ちを勝手に想像して、  イライラしたり、ハラハラしたりしていた私の姿が、はっきりと見えてきました。    また、私は、美紀に繰り返し、「どうしたの!」と聞いています。  けれども、その言い方は、美紀に何かをしゃべらせるような聞き方ではありませんでした。  プールで遊ばないことをとがめるような、きつい口調だったのです。  美紀は、何も言わなかったのではなく、何も言えなかったのではないでしょうか。  何も言えず、目に涙をためていた美紀のことが、急にかわいそうになりました。  そして、子どもの気持ちも聞かずに、一人でイライラしていた自分が、  とてもひどい母親であるように感じられてきました。  ☆★☆ 「ごめんね。ママ全然気がつかなかった」 ☆★☆  私は、次の講座の時に、先生に  「いつも、こんなふうに美紀を叱って来たかと思うと、自分で自分がいやになってしまいました。   何か、取り返しのつかないことをしてきてしまったような気がして・・・」とお話しました。    先生はうなずきながら、私の話を聞いてくださいました。  そして、静かに  「山崎さん。子育てに取り返しのつかないことなどないのですよ。   もし、美紀ちゃんの気持ちを聞いていなかったな、と気づかれたなら、   今から聞いてみてはいかがでしょうか」とおっしゃいました。    私は、はっとしました。  確かにそうです。  あの時の美紀の気持ちが知りたいなら、聞いてみれば良いのです。  あの時、聞いていれば良かった、と後悔していても、何も始まりません。    私は、その日、夕食を終えてから、美紀に、話しかけてみました。  「ねえ、美紀ちゃん。この間、プールに行った時のことだけど。   ママ、ちょっと美紀ちゃんに聞いてみたいな、と思うことがあるんだけど」と言うと、   美紀は「なに? なに?」と、にこにこしながら、私の前に座りました。    私は  「この間、美紀ちゃん、途中から、ママの側に来て、プールで遊ばなかったじゃない。   何で、プールで遊ばなかったの?」と聞いてみました。    美紀は、始めは、下をむいて、何も言おうとはしませんでした。  けれども、  私が  「美紀ちゃん。ママ、怒っているわけじゃないのよ。      あの時なんで、あそこでしゃがんでいたのかな、と思って。      美紀ちゃんがどんな気持ちで、しゃがんでいたのか、聞きたいな、と思っただけなのよ。      何でも言ってごらん。怒らないから」と言うと、ほっとしたように、話し始めました。  「美紀ちゃんねえ、おっきいプールで遊びたかったの。ちっちゃいプールは、つまんないんだもん」    私は、びっくりしてしまいました。    確かに、あの時、美紀が遊んでいた幼児用プールは。水も少ないし、小さかったのです。  美紀には、ちょっと物足りないものだったのかもしれません。    でも、そんなこと、思いも寄らないことでした。  私は、てっきり、疲れてしまって、座り込んでいたと思っていたのです。    けれども、なぜ、美紀は、そのことをあの時、言ってくれなかったのでしょうか。    私は美紀に  「そう、美紀ちゃん、大きい方のプールに行きたかったのね。      お母さんに、そう言えば良かったのに。どうして黙っていたの?」と聞いてみました。    すると美紀は  「だってえ、ママって、呼んだんだよ。でも、ご本読んでて、返事しないんだもん。      美紀ちゃん、ママがご本読み終わるの、待ってたんだ」と言ったのです。    私は、さらにショックを受けてしまいました。    美紀は、私を呼んでいたのです。    それなのに、私が返事をしなかったのです。    私は、思わず  「ごめんね。ママ、全然気がつかなった」と美紀に謝りました。  ☆★☆ 美紀に対するいら立ちは、私自身に対するいら立ちでもあった ☆★☆  公民館での講座は、やがて終了しました。  けれども、私は、セルフ・カウンセリングを、もう少し続けてみたいと思っていました。  そこで、先生に相談してみました。    先生は、ご自宅を開放して、勉強を続けたい人を、グループで指導しておられるとのことでした。  そのグループに入ってみてはどうか、とすすめてくださいました。  私は、先生のお勧めに甘えて、その仲間に入れていただくことにしました。    そのグループで、勉強を続けるにあたって、  次に、どのような場面を探究していこうか、と自分なりに考えてみました。    実は、プールでの場面を書き終えて、自分の中で、ちょっと引っかかっていることがありました。  それは、書きなおした記述の最後の心のセリフの、  “私だって、人づきあいが苦手で、引っ込み思案なのに。私には、何も言ってあげられない”という言葉です。    この場面を探究して、  私は、自分の中に、“元気に友達と遊ぶ子ども”を善しとする価値基準があることに、気づきました。    では、この価値基準は、どこから来ているのでしょうか。    この心のセリフを書いた時、それが、自分自身の劣等感から来ていることに初めて気づきました。  私は、幼い時から引っ込み思案で、  うまく友達を作れなくて、さみしい思いをしたことが多かったように思います。  うまく人づき合いが出来ない、ということが劣等感となって、現在でも続いているのです。  <美紀に対するいら立ちは、自分自身に対するいら立ちでもあったんだな>と気づきました。  けれども、それに気づいたものの、それ以上、どうして良いのか、わからずにいました。    新たに、先生のグループで勉強するにあたり、ぜひ、そのことについて、見つめてみたいと思いました。  私は、先生にこれからどのように探究を進めれば良いのかをお聞きしてみました。    先生は  「それは、とても深い気づきをなさいましたね。      今度は、ご自分が、人間関係の中で、   困ったときのこと、戸惑った時のことを取り上げて、記述してごらんになってはいかがでしょうか」  とおっしゃいました。    私は、次の探究課題として、  最近私が、心に引っかかりを感じた、ある人とのかかわりの場面を、記述することにしました。  ■場面〈2〉  【本当は友達になりたいのに】  【場面説明】  六月の末の午後三時半頃。  近所のスーパーに、私は美紀を連れて、買い物に行った。  買った物を袋に入れている時、近所のKさんが、レジをすませてやって来た。  Kさんは、美紀より一つ年下の佐織ちゃんを連れていた。佐織ちゃんは泣いていた。                      以下、次号(後半)へつづく・・・    ・・★・・ 編集後記 ・・★・・  残暑お見舞い申し上げます。  立秋を過ぎ、  夏を名残惜しむように、蝉の声が響いています。  平和について考える時を迎えています。  自然の営みの中にあって  社会の変化を感じつつ  さまざまな関わりのなかで  一人ひとりがありのままの気持ちを表現し  改めて丁寧な関係を築いていきたいと思っています。  新型コロナウィルス感染症による影響は  現在も続いています。  日々の生活の中で、  季節の変化、身体の変化に目を向けつつ  記憶をたどっています。  改めて、いま一度  何を大切にしていくか、  思い巡らせて、生活したいと思います。  ちょっと立ちどまり   深呼吸してみましょう。   自分の心の変化に  気づく機会になるかもしれません。  目まぐるしく過ぎてゆく生活の中で、  息を抜く時間を大切にしたいものです。  皆さまとご一緒に考える機会となれば、  嬉しく思います。  ご一緒に考えてまいりましょう。  次回を、どうぞ、お楽しみに!  皆様のご意見ご感想をお寄せいただけたら幸いです。  self_counseling2000@yahoo.co.jp  セルフ・カウンセリングには、  通学講座、通信講座など様々な講座があります。  詳しい内容はこちらから →http://www.self-c.net/sutady/index.html      →https://www.self-c.jp/学ぶ-セミナー紹介/通信講座で学ぶ/  ご興味のある方は、下記の事務局までお問い合わせください。    一般社団法人生涯学習セルフ・カウンセリング学会    〒215-0003 神奈川県川崎市麻生区高石4-23-15  URL  http://www.self-c.net  電話 044-966-0485 ファクシミリ 044-954-3516  電子メール  self_counseling2000@yahoo.co.jp      ************************************** ************************************** ◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます ※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです ◎セルフカウンセリング♪自分の心に出会えるメルマガ♪ の配信停止はこちら