※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                                            セルフ・カウンセリング          ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪             ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                     第 364 号  2022 年 5月  1日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※    新型コロナウィルス感染症の影響で苦しみのうちにあるすべての皆さまへ    心よりお見舞い申し上げます。    またその方々のために献身的に働いておられる医療関係者の皆さまへ    そして社会のライフラインを維持するために働かれている皆さまへ    感謝申し上げますとともに一日も早く元の平穏な日々に戻りますことを    心よりお祈りいたします。     **************************************    みなさん、こんにちは。    「 セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪ 」    をお読みいただきありがとうございます。    みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を    耳にしたことがおありですか?    これは、渡辺康麿氏が創案した、    書いて読む、一人で出来る自己発見法です。    私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、    みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、    同氏の著書を連載することにいたしました。    楽しくお読みいただけたら幸いです。   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜    連載になっております。興味のある方は、    バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。       1号〜    「自分の心に出会える本」     23号〜    「自己形成学の創造」     32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」     62号〜    「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」    136号〜    「大人の自己発見・子どもの再発見」 176号〜    「自分を見つける心理分析」 286号〜    「避けられない苦手な人とつきあう方法」    334号〜    「わかっていてもイライラするお母さんへ」    356号〜 新連載「小学生にわかっていてもイライラするお母さんへ」  バックナンバーはこちら→ https://secure02.red.shared-server.net/www.self-c.net/mg/index.html   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜* ************************************** **************************************    人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、    いろいろな経験をします。        そして、その経験を通して、    「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう    その人なりのモノサシを形作っていきます。    自分の生い立ちを振り返ることによって、    無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、    そのとらわれから自由になっていく方法を    自己形成史分析といいます。    セルフ・カウンセリングという方法は、    このような、自己形成史分析という    自己探究の方法が基礎になっています。        ☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆    セルフ・カウンセリングでは、    自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。        家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。        テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、    相手がいない場面も大切な題材になります。    もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。    専門知識も必要ありません。        自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、    時間の順にそのまま書くと、リポートになります。    まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。    その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。        そして、相手の気持ちがわかります。        そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、    心を通わせてゆくための知恵が生まれます。        人間関係のすべてに共通する心のからくりを、    自分の経験を通して学ぶことができます。 ************************************** **************************************              「小学生にわかっていてもイライラするお母さんへ」       わが子の心が見えてくるセルフ・カウンセリング                                  渡辺康麿著  より抜粋                         ( vol . 9 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++          ─ お母さんたちのセルフ・カウンセリング体験記 ─             ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++        2 言われなければ         やらないんだから!           一人では何もできない娘に   イライラする自分を見つめて       小山美智子 甘えんぼうの娘にあった関わり方が見えてきた!              ( 体験記 2 ー 後半 )      前号からの続きですので、バックナンバー363号から      お読みいただくとわかりやすくなっています。   ☆★☆ もう一度心のセリフの形で表現し直してみよう ☆★☆  先生のアドバイスにしたがって、  “私は周りのお母さんたちの様子をそっとうかがった”という個所と、  “私は「ええ、まあ・・・。もう、あの子ったら・・・」と言うしかなかった”という個所について、  もう一度、その時の気持ちを思い返してみました。  そして、その時の気持ちを、心のセリフの形で、具体的に表現し直してみました。 “私は周りのお母さんたちの様子をそっとうかがった”の個所はこんなふうになりました。 “私は<他のお母さんたちは、気づいているかしら。     彩があんなにみっともないことをしているのを。     みんな自分の子どものことで頭がいっぱいで、他の子のことなんて見ていないかもしれない。     そうであってほしいな>と思った。  私は左隣のお母さんの方を見た”というように。  そして、“私は「ええ、まあ・・・。もう、あの子ったら・・・」と言うしかなかった”という個所は、  次のようになりました。 “私は<わぁ、見られてた。     みなさん、自分の子どもだけでなく、ほかの子どもの様子も見ているのね。     隆君のお母さんだけでなく、ほかのお母さんたちも、彩の様子を見て、あきれているかもしれないわ。    『かわいいわねぇ』なんて、社交辞令に決まっている。     内心は『自分の子が、給食ひとつもまともに食べられないのを、よく平然として見ていられるわね。     無責任な親ね』と思っているに違いないわ。ああ、いやだわ。     私は、しつけもせずに、ただ、子どもを甘やかしているような無責任な親じゃないわ。     今までは、彩の世話をしていることが楽しくて、夢中になってしまっていたけれど・・・。     とにかく今は、彩の様子に困っている、ということを少しアピールしておかなくちゃ。     ニコニコして受け答えでもしたら、無神経な親だと思われてしまう>と思った。  私は「ええ、まあ・・・。もう、あの子ったら・・・」と言った“というように。  ☆★☆ 自分が安心するために、彩を叱っていたんだ ☆★☆  この二か所に心のセリフを書き入れてみて、  なぜ自分がこの時大きく動揺したのか、がおぼろげながら見えてきました。  私は、他のお母さんから、子どもを甘やかすばかりの無責任な母親と思われることを、おそれていたのです。  心のセリフを表現するまで、私は、この時の自分の動揺の原因を、彩の幼さにあると理解していました。  けれども、こうして心のセリフを書いてみて、  問題は、彩の様子ではなく、自分が他のお母さんたちからどう見られているか、であることに初めて気づいたのです。  <子どもの心配よりも、自分が親としてどう見られているかが気になっていたんだな。   彩を自立させようと必死になったのも、彩のことを考えてのことではない。   結局、私の親としての見栄のため、彩を利用したんだ。   彩が、ほかの子と同じように、自分の身の回りのことができるようになれば、   親としての責任を果たしている、とほかのお母さんたちからも見てもらえる。   私は、自分が安心するために、彩を叱っていたんだ>   胸の奥に苦い思いが広がって来ました。  何だか、自分がとてもいやな母親であるような気がして、気分が落ち込むのを感じました。  ☆★☆ 親の見栄のために子どもを利用したくない ☆★☆  それから何日かの間、私は、何をする気力も起こらずに、ぼーっと毎日を過ごしました。  その間も、彩は、あいかわらず、身の回りのことを何もしません。  少し前の私でしたら、どうしたら彩が身の回りのことをするようになるかを、  あれこれ考え、頭を悩ましていたことでしょう。  けれども、そうすることに、私は抵抗を感じるようになっていました。  彩のことを考えようとすると、  <私は自分の見栄のために、子どもを利用しようとしているんだ>  そんなお思いが、 どこからともなく起こってきてしまうのです。  私は、以前のように、彩の世話を自分でするようになりました。  そのままで良いとは思えないのですが、  <親の見栄のために子どもを利用するよりも、ずっと良いわ>と感じたからです。  ただ、彩の世話をしていても、以前のように楽しくはありませんでした。  <こんなことをしていて良いのか>という思いは、私の心の片すみに残っていました。  ☆★☆ どのような親だと思われたいのかを見つめてみよう ☆★☆  私は、このような自分の気持ちの変化を、講座に出た時、先生に思い切って打ち明けてみました。  先生は、私の話を黙って聞いて下さいました。  そして、最後に、こんなことを提案されました。 「ご自分の中の、親としての見栄に気づかれた、とのこと。よく気づかれましたね。  ショックを受けたお気持ち、とてもよくわかります。  けれども、小山さん。私は、見栄を張る、ということは、決して悪いことだと思いませんよ。  人間、誰でも、ほかの人からよく思われたい、と思うものなのではないでしょうか。  ただ、自分がほかの人からどのように思われたいのか、を自覚していないと、  自分を見失ってしまうことになります。  ご自分の“見栄”の内容を、少し具体的に見つめてみましょう。  小山さんが、記述の中に、後からつけ加えられた心のセリフをよく読み返してみると良いかもしれません。  その時のありのままのお気持ちの中に、ご自分が、どのようにありたいと思っているのか、  また、他の人からどう思われたいと思っているのか、を理解するヒントが隠されているように思います」  ☆★☆ 親としての責任、という言葉が私を縛っていた ☆★☆  私は、早速、後から書き加えた心のセリフを読みかえしてみました。  心のセリフの中の“無責任な親”という言葉に、いき当たった時、私は<あっ、これだ!>と感じました。  <私は、“無責任な親”と思われたくなかったんだな。      逆に言えば、“子どもに責任がもてる親”と思われたかったんだな>と気づいたのです。  “子どもに責任を持てる”という言葉が、私のうちから出てきた時、私ははっとしました。  この言葉は、母がよく口にしていた言葉だったからです。  母は専業主婦で、家事や育児に生きがいを感じていた人でした。  私が結婚することになった時、主人の母が仕事を持ちながら子育てをした人だと知って、  母は、「母親が仕事を持つなんて・・・。私には、そんなこと考えもつかなかったわ。      仕事の片手間に子育てをするなんて。そんなことで、子どもに責任がもてるのかしら」と言いました。  彩が生まれた時も、見舞いに来ての第一声は、  「あなたもしっかりしなくてはね。親は子どもの人生の責任をもたなくちゃいけないんだからね」というものでした。  何気なく聞いた母の言葉が、私の中でしっかりと根づいていたようです。  “子どもに責任をもつ”という言葉は漠然としてものですが、私は母の言い方のニュアンスから、  “子どもとしっかりと関わり、手をかける”という意味合いで受け取っていたように思います。  彩の世話を熱心にやってきたのも、親としての責任を果たそうという思いからだったのだと思います。  また、この“子どもに責任をもつ”という言葉が、私の中に強いこだわりとなって残ったのには、  姑に対する反発心も関係があったのかもしれません。  姑から、子育てのことに関して口をだされたりした時など、  <お母様は仕事をしながら子育てされてきたのでしょう?   それじゃあ、子育ての本当の難しさを味わうこともなかったのではないかしら。   私は、子どものために、これだけ手をかけてやっているのよ。   子どもに責任をもつということは、こういうことなのに。   全然わかっていないんだから>と、  私は心の中でつぶやいていました。  いずれにせよ、あの授業参観の日まで、私は、自分の子育てに自信を持っていたのです。  私は、親の責任を果たしている、と・・・。  ところが、授業参観で目にしたのは、他の子と比べて、ひときわ幼い彩の様子でした。  私の子育てについての自信は、完全に失われてしまいました。  そして、それと同時に、親の責任は、子どもに手をかけることではなく、  子どもが自立するように手助けすることではないだろうか、という新たな思いが私の中に生まれてきたのです。  “親の責任”という言葉が、私を縛っていたんだな、とあらためて感じました。  ☆★☆ 今の彩に本当に必要なことは何だろう ☆★☆  自分を縛っていたものの正体が見えてくると、自分の中で何かが落ち着くのを感じました。  それと同時に、自分のことで精いっぱいで、かんじんの彩のことが見えていなかった自分の姿が、見えてきました。  私は、自分が親の責任を果たしているか否か、というところに心を奪われていました。  そのあまり、彩がどんな気持ちでいるのか、彩にとって何が必要なのかを、考えるゆとりを失っていたのです。  <今も、私は自分が見栄を張っているかどうかに気をとられて、彩のことを考えられなくなっている。   彩に本当に必要なことは何なのだろう。   今、私が考えなくてはいけないことは、そのことなのではないかしら>私の中から、  こんな思いが、新たにわき起こってきました。  ☆★☆ 私が手を出すことで、彩をダメにしていたのかもしれない ☆★☆  彩は、日常生活のすべてを私に頼って生活をしています。  赤ちゃん時代の延長として、それは、私にとっては、ごく自然のことでした。  けれども、彩はもう七歳です。  自分の手で自分の身の回りのことをする力は、十分ついているはずです。  今回の授業参観で、他のお子さんたちを見て、つくづくそれを感じました。  私が手を出すことは、彩の中に育ってきた、自分で何かをする、という力を、  ダメにすることにつながるのではないでしょうか。  もし、自分で自分のことをする、という力がこのまま育たなかったら、これから先、困るのは彩です。  学年が上になるにしたがって、親が出る幕は少なくなっていくことでしょう。  子どもが、自分のことに、自分自身で責任を取らざるを得なくなる時が、必ず来るのです。  今、私がしなくてはいけないことは、  彩が自分の力を、自分で生かすことができるように、手助けすることなのではないでしょうか。  これまでにも、育児書などで、子どもの自立についての文章は、よく読んでいました。  けれども、今、初めて、それを彩の問題としてとらえている自分に気づきました。  一般的な問題ではなく、他の誰でもない、彩自身の問題として、実感を持って、感じとることができたのです。  ☆★☆ 今の私には、セルフ・カウンセリングがある ☆★☆  私は、再び、彩の自立をめざして、さまざまな働きかけをするようになりました。  ただ、これまで甘やかされていた彩に、  いきなり、自分のことは自分でしなさい、と言っても無理なことは目に見えていました。  けれども、今の私には、セルフ・カウンセリングがついています。  私は、うまくいかないな、と感じた時には、  そのときのことをセルフ・カウンセリングでふり返るようにしてみました。  ■言われないと、できないんだから・・・  【場面説明】  午後八時頃。夕食後、早く明日のしたくをしてほしいと思い、私は娘に声をかけた。  【場面記述】  彩はテレビの前で横になっていた。  私は<いつまで、ぐずぐずしているのかしら。     もう八時じゃない。早く明日の準備をしなければ、八時半にふとんに入ることはできないわ。     あー、イライラする。早くしなさい、と言ってやりたい。     でも、私がせかせたのでは、何もならない。     彩自身が、『もう、したくをする時間だ』と、気づかなければ。遠回しに言って、気づかせよう>と思った。  私は「彩、もう、八時よ。わかっているの?」と言った。  彩は「えー?なに?なんのこと?」と言った。  私は<なんか、キョトンとした顔をしているな。     何で、あらためて時間なんて言うんだろう?というような顔だわ。     全然わかっていないな。やっぱり、もうちょっと言ってやらないとだめなのかしら>と思った。  私は「八時半にはおふとんに入るようにしようね」と言った。  彩は「うん。あっ、そういうことか。明日の準備してきまーす」と言った。  彩は自分の部屋に行った。  私は<やっとわかってくれた。もう・・・。ここまで言わなければ、気がつかないんだから。     時間が来たら、自分からしたくをしに行く、というくらいに、早くなれれば良いんだけれど・・・>と思った。  私は流しで、夕食の片づけを始めた。  私は<あっ、明日は体育があるんだわ。体操服が必要なんじゃないかな。あの子、気がついているかしら>と思った。 〜〜〜〜〜少し時間が経過した〜〜〜〜  私は<やっぱり気になる。ちょっと様子を見てみよう>と思った。  私は彩の部屋に行った。  彩は、マンガを見ながら鉛筆を削っていた。  私は<あきれた!なにをやっているの?     マンガに気をとられて、鉛筆を削る手がお留守になっているじゃない。       これじゃ、いつまでたったって、削り終えることはできないわ。    『さっさと鉛筆を削りなさい!』と言ってやりたい。     でも、それじゃ、私が指示を出して、彩がそれに従う、ということになってしまう。     彩が自分で考えて答えを出せるように工夫しなくては>と思った。  私は「彩。マンガを読みながら鉛筆なんて削れないでしょ。     マンガを読むのと、鉛筆を削るのと、どっちが大事なの?」と言った。  彩は「鉛筆削り」と言った。  私は「じゃあ、鉛筆を先に削りなさい」と言った。  彩は「はーい」と言った。  彩はマンガを閉じた。  彩は鉛筆を削り始めた。  私は<こういうところは素直でかわいいんだけれどな。     でも、いつでも、『〜しなさい』『はーい』じゃしょうがないもの。     自分で何でもてきぱき出来るようにならなくては>と思った。  彩は「鉛筆削り終わったよ。マンガ読んで良い?」と言った。  私は机の上を見た。  机の上にはランドセルが置いてあった。  私は<体操袋がないじゃない。やっぱり、体操着は容易していないんだ。     体育があるなら、体操着を体操袋に入れて用意する必要があるでしょう。     それぐらい気がつかなくてどうするの。本当に、いちいち言わなければ気がつかないんだから>と思った。  私は「明日は体育があるんじゃないの?」と言った。  彩は「うん。そうだよ」と言った。  私は<それがどうしたって言う顔だな。全然ぴんと来ていない。     やっぱり、はっきり言ってやらなければ、だめなのかしら>と思った。  私は「体育があるなら、体操着を体操袋に入れて用意しなければだめでしょ?」と言った。  彩は「うん」と言った。  彩はタンスから体操着と体操袋を持ってきた。  彩は「これでいいでしょ」と言った。  私は<得意そうな顔をしている。言われたことを全部やったから、ほめられると思っているのかしら。     しょうがないな。言われてからやるようじゃだめなのよ。     小学生になったんだから、自分から気がついて、できるようにならなくちゃ。     でも、何だか、もう、疲れてしまった。何か言う気にもなれない>と思った。  私は「八時半になったら、パジャマに着替えてふとんに入るのよ。     それまでの間だったら、読んでいても良いわ」と言った。  私は<あーあ。結局、私が全部指示してしまったな。     彩が自分で考えてやるように、といろいろ工夫しているつもりなのに、なんで、うまくいかないんだろう>  と思った。  ☆★☆ 絶望的な気持ちになった ☆★☆  このやり取りがあった後、私は、深く落ち込んでしまいました。  <自分なりに工夫して接しているのに、どうして、彩は自分から動こうとしてくれないのだろう。   やっぱり、今からではもう遅いのかしら>と感じ、何だか絶望的な気持ちになってしまったのです。  けれども、この時のことを場面記述に書き、読み返すことで、さまざまなことが見えてきました。  ☆★☆ 心の中は嵐のようだった ☆★☆  まず、第一に気づいたことは、  私は、本当にいろんなことを考えながら、彩に対応していたんだな、ということです。  私の心のセリフだけを読み返してみて、それを感じました。  私は彩に対して、自分で気づいて行動を起こしてほしい、と言う期待を持っています。  けれども、彩は、そんな私の期待をことごとく裏切ります。  私の中には、そんな彩に対して、いら立ちや腹立ちが起こってきます。  けれども、そのいら立ちや腹立ちを、私はぐっと抑えます。  それを彩にぶつけたら、彩が自分で気づくことができなくなってしまうからです。  自分の感情を抑えながら、私は、どうしたら、彩が自分から気づくか、さまざまな問いかけを考えます。  そして、穏やかに、彩に言葉をかけています。  私と彩は、表面上は穏やかに会話を交わしています。  けれども、実は、私の心の中は嵐のように大きく波立ち、揺れていたのです。  その大きな波立ちが、記述の中には、ありありと表れていました。  ☆★☆ どうすれば良いかが見えてきた ☆★☆  第二に気づいたことは、  彩は、終始キョトンとしていたということでした。  私が問いかけても、彩は、何を言われているのか、ピンと来ていない様子です。  そんな彩の姿が、あらためて、見えてきました。  この出来事の中で、私は、彩に対して、感情的になっていました。  それが、記述をすることで、もっと冷静に、彩を見ることができました。  今の彩には無理なことを、私は期待していたのかもしれない、と思えてきたのです。  彩は、身の回りのことを自らやる、と言う以前に、  まず、毎日の生活が、どのようなローテーションで行われているのかが、全くわかっていない様子です。  だから、どのような時に、どのようなものが必要なのかも、わからないのだと思います。  彩は、そんな段階にいるのかもしれません。  <何時に何をする、ということ、そして、授業ごとに何が必要なのか、   ということを、しっかりと頭に入れることが、まず先決だわ。   それには、一人でやらせる前に、私が一緒にやってやることも必要なんだわ。   一緒にやりながら、今、何時だからこれをやらなくちゃね、とか、   体育があるから、体操着を持っていかなくちゃね、とか声かけをしてゆけば、   自分がやっていることを自覚できるかもしれない>そんな考えが、自然と私の中に生まれてきました。  これまでの私だったら、  子どもを自立させる、ということにこだわり、  子どもと一緒に何かをやる、ということなど思いもつかなかったと思います。  けれども、セルフ・カウンセリングで、客観的に彩とのやり取りをふり返ることで、  彩の状況がリアルに見えてきて、今の彩にとって本当に必要なことが、自然と見えて来たのです。  子どもを自立させたい、と思っても、そこへ行く道筋を考えるのは、なかなか難しいことです。  セルフ・カウンセリングをすることで、その子に合った道筋を、考えられるようになったことは、  私にとって大きな驚きであり、また、喜びでもありました。  子育てに失敗はつきものです。  これからも、さまざまに思い惑うことがあると思いますが、  セルフ・カウンセリングをすることを通して、よりよい道を探っていきたいと思っています。                                     つづく・・・  次回は    「 お母さんたちのセルフ・カウンセリング体験記 3 」    をお送りいたします。        どうぞ、お楽しみに!    皆様のご意見ご感想をお寄せいただけたら幸いです。  self_counseling2000@yahoo.co.jp  セルフ・カウンセリングには、  通学講座、通信講座など様々な講座があります。  詳しい内容はこちらから →http://www.self-c.net/sutady/index.html              →https://www.self-c.jp/study/self-counseling/  ご興味のある方は、下記の事務局までお問い合わせください。    一般社団法人生涯学習セルフ・カウンセリング学会    〒215-0003 神奈川県川崎市麻生区高石4-23-15  URL  http://www.self-c.net  電話 044-966-0485 ファクシミリ 044-954-3516  電子メール  self_counseling2000@yahoo.co.jp      ************************************** ************************************** ◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます ※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです ◎セルフカウンセリング♪自分の心に出会えるメルマガ♪ の配信停止はこちら ⇒ https://www.mag2.com/m/0000231376.html?l=got179cddb