※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                                            セルフ・カウンセリング          ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪             ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※                     第 381 号  2023 年 1月   15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※    新型コロナウィルス感染症の影響で苦しみのうちにあるすべての皆さまへ    心よりお見舞い申し上げます。    またその方々のために献身的に働いておられる医療関係者の皆さまへ    そして社会のライフラインを維持するために働かれている皆さまへ    感謝申し上げますとともに一日も早く元の平穏な日々に戻りますことを    心よりお祈りいたします。     **************************************    みなさん、こんにちは。    「 セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪ 」    をお読みいただきありがとうございます。    みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を    耳にしたことがおありですか?    これは、渡辺康麿氏が創案した、    書いて読む、一人で出来る自己発見法です。    私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、    みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、    同氏の著書を連載することにいたしました。    楽しくお読みいただけたら幸いです。   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜    連載になっております。興味のある方は、    バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。       1号〜    「自分の心に出会える本」     23号〜    「自己形成学の創造」     32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」     62号〜    「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」    136号〜    「大人の自己発見・子どもの再発見」 176号〜    「自分を見つける心理分析」 286号〜    「避けられない苦手な人とつきあう方法」 334号〜    「わかっていてもイライラするお母さんへ」 356号〜    「小学生にわかっていてもイライラするお母さんへ」     376号〜 新連載「反抗期とわかっていてもイライラするお母さんへ」  バックナンバーはこちら→https://secure02.red.shared-server.net/www.self-c.net/mg/index.html   〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜* ************************************** **************************************    人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、    いろいろな経験をします。        そして、その経験を通して、    「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいう    その人なりのモノサシを形作っていきます。    自分の生い立ちを振り返ることによって、    無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、    そのとらわれから自由になっていく方法を    自己形成史分析といいます。    セルフ・カウンセリングという方法は、    このような、自己形成史分析という    自己探究の方法が基礎になっています。        ☆★☆ セルフ・カウンセリングとは? ☆★☆    セルフ・カウンセリングでは、    自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。        家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。        テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、    相手がいない場面も大切な題材になります。    もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。    専門知識も必要ありません。        自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、    時間の順にそのまま書くと、リポートになります。    まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。    その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。        そして、相手の気持ちがわかります。        そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、    心を通わせてゆくための知恵が生まれます。        人間関係のすべてに共通する心のからくりを、    自分の経験を通して学ぶことができます。 ************************************** **************************************              「反抗期とわかっていてもイライラするお母さんへ」       中・高校生の心が見えてくるセルフ・カウンセリング                                    渡辺康麿著  より抜粋    ( vol . 6 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++          ─ お母さんたちのセルフ・カウンセリング体験記 ─     ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++              1 何でも話し合える            親子だったのに!           子どもに自分の欲求を 押しつけていたことに気づいて    井上真希子 娘は自分の思いを出せるようになったんだ!    ( 体験記 1 ー 前半 )  ☆★☆ 私と娘は一卵性親子 ☆★☆   私と一人娘の真理は、母親の私が言うのもおかしいのですが、とても仲のよい親子です。  おしゃれのこと、テレビのドラマのこと、タレントのことなど、  まるで、友だちどうしのように、よくおしゃべりをします。  もちろん、そればかりでなく、真理は、学校の授業のこと、友達とのことなども、よく話してくれます。  私は、そんな真理との会話が、何より楽しみでした。  真理が中学に入ったころ、私は<そろそろ親離れが始まるかしら>と、覚悟していたのですが、  真理は、こちらが拍子抜けするほど、全然変わりませんでした。  学校から帰ってくるやいなや、真理は「ママ、聞いて、聞いて」と、  食堂の椅子に座り込み、いろんなことをしゃべっていくのです。  私は、そんな真理がかわいくてたまりませんでした。  “難しい年頃になって、扱いに手を焼く”といって他のお母さん達の声を聞くたびに、  私は<ウチは特別なんだわ。  すごく仲が良い親子のことを一卵性親子、なんてよく言うけど、  ウチは、まさにそうなのかも知れない>と思いました。  ちょっと得意な気持ちにまでなりました。  ☆★☆ 真理に男の子から手紙が来た! ☆★☆  ところが、真理が高校に入学し、しばらくしてからのことです。  男の子からの手紙が、真理に来たのです。  その子の名前は、私が初めて目にするものでした。  その手紙をめぐって、私は真理と、ちょっとした口論をしました。  それ以来、私と真理との間は、少しおかしくなってきました。  真理は、私とおしゃべりをするより、その男の子と電話で話すことが多くなりました。  私には、学校でのことや友達どうしのことを何も話さなくなりました。  そのことを、他のお母さん達に話すと、みんな一様に  「同じ。同じ。ウチだって、もっとひどいものよ。   今はそういう時期なんだから、ほっとけばよいのよ」と言います。  私もそう思います。  けれども、そう思うそばから、私の中には、  <オタクはそうかも知れないけれど、ウチは違うのよ。   ずっと本当に仲良くやって来たんだから>という思いが、頭をもたげるのです。  そして、何とか、前のように何でも話せる関係に戻りたいと、あせってしまうです。  ☆★☆ 私だけ場違いなのではないかしら ☆★☆  そんなある日のこと、市民館で、セルフ・カウンセリング講座が開かれることを知りました。  セルフ・カウンセリングというのがどのようなものであるかは、当時の私は全く知りませんでした。  けれども市の広報にのっていたサブ・タイトルにひかれるものを感じました。  “引き出す対話、押しつける対話”となっていたのです。  真理の気持ちを引き出したい、と思っていた私は、その講座を受講してみることにしました。  けれども、初めてその講座に参加した時、私は、  場違いなところに来てしまったかな、とちょっとひるんでしまいしました。  なぜなら、他の方達は、いわゆるカウンセリングに興味を持っている方達ばかりだったからです。  自己紹介の時、他の参加者の皆さんは  「将来、ボランティアで、カウンセラーのようなことができたら良いな、と思って受講しました」とか  「悩んでいる方達の手助けが少しでもできれば良いなと思って受講しました。とか  「心理学やカウンセリングに興味を持っていたので、受講してみました」とかいうようなお話をされていました。  そんな中で、私一人は  「娘と会話らしい会話ができなくなってしまったので、   娘の気持ちを引き出せるように勉強したいと思って、ここに来ました」とお話ししたのです。  他の方が、立派な志を持っておられるのに、  自分だけ、身内のつまらない問題を抱えて受講しているように感じられ、  何だか、身が縮むような思いがしました。  けれども、講師の先生は、うなずきながら私の話を聞いて下さいました。  そして「身近な方とのコミュニケーションは、何よりも大切なことですね。  セルフ・カウンセリングでは、日常生活の一こまを、具体的に書いていくことから始めます。  お嬢さんとのかかわりを、具体的に見つめていくことで、  お互いの気持ちを伝えあうにはどうすればよいかが、きっと見えてくると思います。  ご一緒に学んで参りましょうね」とおっしゃってくださいました。  先生のその言葉に、私は、こんな自分でも参加して良いんだ、と思え、ほっとしました。  ☆★☆ 書くカウンセリング ☆★☆  第二回目の講座から、いよいよ、セルフ・カウンセリングの方法を学習することになりました。  この時、初めて知ったのですが、  セルフ・カウンセリングというのは、自分で自分をカウンセリングする方法だということでした。  そう聞いて、私は、ちょっとびっくりしました。  カウンセリングというものは、  カウンセラーという専門家が、相談に来た人の話を聞くものだと思っていたからです。  <自分で自分をカウンセリングするって、どういうことかしら?   自分で自分の話を聞くということかしら?   テープレコーダーでも使うのかしら?>  私の中で、いろいろな疑問が起こりました。  けれども、その疑問も、先生の説明ですぐに納得いくものに変わりました。  セルフ・カウンセリングというのは、書くカウンセリングである、と説明して下さったからです。  私は<ああ、なるほど>と思いました。  それなら、自分一人で、自分自身を見つめることができます。  このような、書くカウンセリングの方法を身につけると、  今度は、話すカウンセリングもできるようになってくるそうです。  この講座のサブ・タイトルにあった、  “押しつける対話、引き出す対話”の中の“引き出す対話”というのは、  相手の気持ちを引き出す、カウンセリング的な対話だということでした。  それに対して、“押しつける対話”というのは、  自分の気持ちを相手に押しつける対話だということでした。  日常生活の中で、私たちは知らず知らずに自分の欲求を相手に押しつけていることが多いそうです。  私の関心は、  自分自身を見つめることよりも、真理の気持ちを引き出す対話ができるようになる、ということにありました。  けれども、まずはセルフ・カウンセリングの方法を学ぶのが先決です。  私は早速、最近の真理とのかかわりを、セルフ・カウンセリングの方法で書いてみることにしました。  ■初めて書いた記述  【あの手紙の子と話しているんだわ】  【場面説明】  先週の日曜日の午後。  私は二階の洗濯物を取り込もうと、階段をのぼって行った。  娘は二階の自分の部屋で電話していた。  娘は自分の部屋にコードレスフォンを持ち込み、誰かと話していた。  娘は私の足音に気づき、    「アッ、ママが来る。じゃあまたね。     うん、うん。うるさいから。じゃあね。後でまたかけるから」と言って、電話を急いて切った。  私は<きっと、あの手紙の子と話していたんだわ。     聞かれてまずいことでも話しているのかしら。こそこそしていて、感じ悪いったらないわ>と思った。  私は娘の部屋のドアをノックした。  私は「真理、コードレスフォン使ってる?下になかったけど」と言った。  娘は黙ってコードレスフォンを突き出した。  私は「誰と電話してたの?ずい分長く話してたみたいね。     みどりちゃんから?最近みどりちゃん遊びに来ないけど元気にしてる?」と言った。  娘は「知らない」と言った。  私は「みどりちゃんからじゃなかったの?それじゃ誰から?」と言った。  娘は「クラスの友達」と言った。  娘は、うるさそうに言い捨てるとベッドの上にごろっと横になった。  ☆★☆ 電話する娘の様子を見ていなかった ☆★☆  私は書き終えたものを、先生に見ていただきました。  先生は、私の記述に目を通され、  「初めてお書きになったのに、書き方のルールをよく理解されていますね。   この時のことを、具体的に振り返っておられる様子がうかがえます。   せっかくここまでお書きになられたのですから、この記述を手がかりに、   さらに詳しくこの時のことを振り返ってみましょう。」とおっしゃいました。  「まず、一番初めの“娘は自分の部屋にコードレスフォンを持ち込み、誰かと話していた”という個所ですが、   この時、井上さんは、電話で話しているお嬢さんを直接目にされたのでしょうか。   お嬢さんが、ドアを開け話しておられたのでしたら、そういうことも考えられます。   けれども記述の半ばで、井上さんは、ドアをノックしておられます。   この時、お嬢さんの部屋のドアは閉まっていたのではないでしょうか。   もし、初めから、ドアが閉まっていたとしたら、   何か物音、たとえば、お嬢さんの話し声が、部屋から聞こえて来たのではないでしょうか。   それで、お嬢さんが電話で話している、と、井上さんが推察されたのではないでしょうか」  先生の言葉に、私は、びっくりしてしまいました。  確かにそうなのです。  この時、娘の部屋から、押し殺したような話し声が聞こえて来て、  それで直感的に、<あっ、あの手紙の子と話している>と私が感じたのです。  何となく、楽しげに話す娘のイメージが私の中にあったのです。  でも、実際には、娘の話していた様子を目にしていなかったのです。  ☆★☆ 「自分の感じていることを、そのままに表現することが何よりも大切です」 ☆★☆  先生は、さらに言葉を続けました。  「次の文のところですが、“娘は私の足音に気づき〜電話を急いで切った”と書いておられますね。  “私の足音に気づき”というのは、<娘は私の足音に気づいたんだな>という井上さんの推察ではないでしょうか。   また、“電話を急いで切った”というのも、  <娘は急いで電話を切ったな>という井上さんの推察なのではないでしょうか。  もし、そうだとしたら、それはご自分の思いとして、お書きになってみて下さい。  それから、次の  <きっと、あの手紙の子と話していたんだわ。聞かれてまずいことでも話しているのかしら。   こそこそしていて、感じ悪いったらないわ>という個所には、  井上さんのお気持ちが、とてもよく表現されていますね。  このような心の中の思いを具体的に書いたものをセルフ・カウンセリングでは、心のセリフと呼んでいます。  後半で、井上さんは、お嬢さんと会話していますね。  その時、何かお感じになったことはありませんか。  もし、あったら、お嬢さんと会話している時の井上さんの思いを、心のセリフの形で書き入れてみましょう。  私たちが相手に向かって何かを言う時、そこには、何らかの思いがあるはずです。  どんな思いから、その言葉を口にしたのか、ちょっと、思いめぐらしてみましょう。  それから、最後の文ですが、“娘はうるさそうに言い捨てると”という個所は、  お嬢さんの様子に対して、井上さんが<うるさそうな顔しているな。  まるで言い捨てるように言ったな>とお感じになったのではないでしょうか。  もし、そうだとしたら、井上さんの思いとして、心のセリフの形で表現してみましょう。  この時、お嬢さんの様子は、具体的にはどんなふうでしたか?  お嬢さんの表情やしぐさなども、思い起こせるようでしたら、具体的にお書きになってみるといいですよ。  その時に、井上さんがお感じになったことを思い起こしやすくなります。  セルフ・カウンセリングでは、  ご自分の感じていることを、そのままに表現することが、何よりも大切だと考えています。  井上さんが、  この時のご自分のお気持ちをできるだけリアルに思い起こせるといいなぁと思って、問いかけてみました。  問いかけられても、なんとなく、ぴんと来ないなぁ、と感じられるようでしたら、  そのご自分の実感の方を大切になさって下さいね。  何よりも、井上さんの実感が大切なのですから」  ☆★☆ 相手と自分とを分けて書くことがこんなに難しいなんて! ☆★☆  私は、記述を書き始める前に、先生から、場面記述と言うものが、  相手と自分を分けて、その時のことをできるだけ具体的に書くものだという説明を聞きました。  その時、内心<なんだ、簡単じゃない>と、思いました。  実際にも、この時のことが、すらすらと書けたのです。  けれども、先生からさまざまな問いかけを受けてみて、  それが、そんなに容易ではない、ということに初めて気づきました。  何よりも、相手と自分とを分ける、ということが、こんなに難しいことだとは思いもよらないことでした。  先生がおっしゃるように、私は娘の気持ちを想像していたのです。  そして、それを、あたかも事実であるかのように書いていたのです。  けれども、そう思う一方で、私の中には、  <先生の言われるように、確かにそれは私の想像にすぎない。   けれども、私の想像は、きっと当たっているにちがいない>という思いも残っていました。  それでも、せっかくここまでアドバイスをいただいたのです。  とりあえず、私は、記述を書き直してみることにしました。  ■書き直した記述  娘の部屋から、小さな話し声がした。  私は<何だか、押し殺したような声が聞こえてくる。あっ、真理が電話しているんだわ。     そう言えば、下のコードレスフォンがなくなっていた。しょうがない子ね。     今までは、仲の良い友達と電話する時でも、いつも、下の居間で話していたじゃない。     わざわざ自分の部屋で話さなくちゃいけない相手って誰かしら。     あの手紙の子じゃないかしら。きっとそうだわ。いったい何を話しているのかしら>と思った。  私は、娘の部屋の方へ歩いていった。  娘の「あっ、ママが来る。じゃあ、またね」と言う声が聞こえた。  私は<私の足音に気づいて、あせってる。私に聞かせたくない話でもしていたのかしら>と思った。  娘の「うん。うん。うるさいから。じゃあね。後でまたかけるね」と言う声が聞こえた。  私は<“うるさいから”なんて失礼ね。私は、口うるさい親じゃないつもりよ。     子どもと何でも話せる親だと思って来たわ。真理だって、それはわかっているはずじゃない。     それとも、たとえ、どんなに寛大な親にでも、聞かせられないようなことをしゃべっていたって言うの?     どうしよう。真理はあの手紙の子とどんなつき合い方をしているんだろう。     いくら真理がだんまりを決めこんでいるからって、このまま見過ごしていて良いんだろうか。     ああ、真理の口からちゃんと話を聞いて、早く安心したい。きょうこそは、絶対、話を聞き出さなくては。     でも、初めからこちらが感情的になっては、かえって黙り込むだけだ。     冷静に、何気なく話を始めなくては>と思った。  私は娘の部屋のドアをノックした。  私は「真理、コードレスフォン使っている?下になかったけど」と言った。  娘は右手にコードレスフォンを持って、私の方に突き出した。  私は<まあ、なんていう態度なの?     返事くらいすればいいじゃない。そんなにママと口をきくのが嫌なの?     でも、今日は簡単には引き下がらないからね。     わざと他のお友達の名前を出して、しつこく聞いてやるんだから>と思った。  私は「誰と電話していたの?     ずいぶん長く話していたみたいね。みどりちゃんから?     最近、みどりちゃん遊びに来ないけど、元気にしているの?」と言った。  娘は「知らない」と言った。  私は<まったく、もう。取りつくしまがないんだから。     表情一つ変えもしないで、かわいげがないったらないわ。少しは後ろめたいと思わないのかしら>と思った。  私は「みどりちゃんじゃなかったの?それじゃ誰から?」と言った。  娘は「クラスの友達」と言った。  娘は無表情だった。  娘は私の脇に視線を落としていた。  私は<私と目を合わそうともしない。でも、あの目は、怒っている目だ。どうしよう。     今日こそは、ちゃんと話させようと思っていたけれど、でも、こうなってしまったら、いつもと同じだ。     しつこくすればするほど口を固く閉ざしてしまうだろう>と思った。  娘は、ベッドの上にごろっと横になった。  娘は私に背を向けた。  私は<“これ以上、もう何にも話さないからね”って言っているみたいだ。     今日はもう無理だろう。これ以上こじらせてもいけない。しょうがない。引き下がるか。     でも、何だか落ち着かないわ。こんな調子がいつまで続くんだろう。     なんで、こんなことになってしまったんだろう>と思った。  ☆★☆ こんなに感情的になっていたなんて ☆★☆  書き直した記述を、私は、あらためて読み返してみました。  同じ出来事を書いているはずなのですが、  最初に書いた記述の時と、ちょっと雰囲気が変わったように感じました。  <どこがどう違うんだろう>私は、初めに書いた記述を引っ張り出して、見比べてみました。  最初に書いた記述を読むと、娘の行動ばかりが目につきました。  自分の部屋に電話を持ち込んでこそこそ話をしている娘。  何を聞いても、ぶっきらぼうに答えるだけで、うるさいと言わんばかりに私を拒否する娘。  私と娘との関係がぎくしゃくしているのは、娘に原因がある、と言うことが明白に現れているように思えました。  娘が変わらなければ、私たち親子の関係は変わらない、そんなふうに思えました。  けれども、書き直した記述を読み返してみると、  娘の行動よりも、娘の行動の一つ一つに過剰に反応する自分自身の姿に、目が引きつけられました。  自分が、こんなに感情的になっているなんて、自分でも気がついていませんでした。  よく、テレビドラマには、若い子のつき合いに、神経質に口をはさんで来る母親が出てきます。  それを見ながら、私はいつも  <何でも悪い方へ悪い方へ勘ぐって。   あんなふうに干渉されたら、子どもが親をうとましく思うのは当然だわ>と思っていました。  けれども、記述の中に出てくる私は、まさに、そんな母親なのでした。  ☆★☆ 記述を読み返せない ☆★☆  次の講座の時、私は、書き直した記述を、先生にお見せすることができませんでした。  <先生にお見せしたら、先生は、こんな対応していたら、子どもが口をかきかなくなるのは当然だって思う>。  私は、先生から、そう思われるのが怖かったのです。  たまたま、その日の講座の中で、先生は、記述の読み返しについて、説明して下さいました。  「記述を書き終えたら、繰り返し何度も読み返してみましょう。   その時、自分の欄だけを読む自分読み、相手の欄だけを読む相手読み、全体を読む全体読み、   の三種類の読み方で、読み返してみましょう。  “自分読み”の時は、この時、自分はどんな気持ちだったのかしら、と、   自分の実感を思い起こしながら読んでみるとよいでしょう。  “相手読み”の時は、この時、相手はどんな気持ちだったのかしら、と、   相手の気持ちを推察しながら読んでみるとよいでしょう。  そして、“全体読み”の時は、自分と相手の気持ちがどこで食い違っているのか、  という点に注目して読んでみるとよいでしょう。  きっと何かが見えて来るはずですよ」  先生の説明が終わると、他の皆さんは、ご自分の記述を読み返し始めました。  けれども、私は自分の書いた記述を読み返す気になれませんでした。  心配の種を自分で勝手に大きくして、神経質に子どもに干渉する母親。  そんな自分の姿を、再び見つめる勇気が、私にはなかったのです。  私は、講座が終わるやいなや、そそくさと家に帰りました。  もう、二度と講座には出席しないつもりでした。  ☆★☆ もう一度、心を決めてぶつかって見よう ☆★☆  家に帰ると、私は自分の書いた記述を小さくたたんで、自分専用の状差しの中に突っ込みました。  私の中には、二度と見たくない、という気持ちがある反面、記述を捨てるまでの勇気はありませんでした。  そのまま何日かが過ぎました。  あの時の記述は状差しに入ったままです。けれども、何となく、落ち着かないのです。  自分に出された宿題を、まだしていないような落ち着かなさを私は感じていました。  何をしても、  <こんなことをしていて良いのかしら。自分が本当にしなくてはいけないことは、別にあるのではないかしら>  という気持ちが起こって来るのです。  そんな気持ちのまま、一週間が過ぎ、再び、講座の日がやって来ました。  私の中の落ち着かなさは、一向に納まる様子がありません。  私は、思い切って、もう一度講座に出席してみることにしました。  <このままこうしていても仕方がない。   ひょっとしたら、今回書いた記述の中には、私が避けて通れない問題が潜んでいるのかも知れない。   もしそうなら、いつまで逃げていても仕方がない。心を決めて、ぶつかって見よう>と思ったのです。  私は状差しから小さくたたんだ記述を再び取り出し、講座の開かれている市民館へと向かいました。  ☆★☆ 別の場面を記述してみよう ☆★☆  その日、私は、先生に、自分の気持ちを率直にお話しました。  記述を読み返した時の強い自己嫌悪の気持ち。  記述を、どうしても読み返すことができなかったこと。  そして、この一週間、記述を状差しに入れておいたこと。  先生は、私の話をうなずいて聞いて下さいました。  そして、いくつもの折りじわがついた、私の記述を読まれて、こうおっしゃいました。  「こうやって、この記述用紙を見ていると、   記述用紙を小さく折りたたんで、状差しの中にいれた井上さんの気持ちが、伝わって来るような気がします。   もう見たくない、という気持ち。でも、そのまま捨てることができない気持ち。   それは、ありのままの自分の姿を目の前にしてしまった井上さんの本当の気持ちだと思います。   それを、井上さんは、こうして言葉に表現して、私に伝えて下さいました。   それは、どんなに勇気のいることだったでしょう。   そのことを私は、何よりもうれしく思います。   井上さんのうちにある、“見つめたくない”というお気持ち、   それから、“このまま探究をやめてしまいたくない”というお気持ち、   その二つのお気持ちは、二つとも、とても大切なお気持ちなのではないでしょうか。   どちらかを選ぶのではなく、  <ああ、私は今、この記述を見つめたくないんだな。   でも、このまま探究をやめてしまうことも、嫌なんだな>と、   今のご自分のお気持ちを、そのままに受けとめ、そっとしておく、   というのも一つの方法であるように思うのですが、いかがでしょう」  先生の言葉の一つ一つが、私の心の中に、すーっと吸い込まれるように入ってくる気がしました。  思い切って、講座に出て来てよかった、と心から思いました。  先生に話を聞いていただいただけで、何だか、気持ちが本当に楽になったのです。  そして、見つめたいけれども、見つめたくない、という気持ちを、今はそっとしておいてよい、という言葉に、  私はほっとしました。  ただ、そのままにしておく、といっても、それも手持ちぶさたな気がしました。  私はそのことを、先生にお聞きしてみました。  先生は  「別の場面を、記述してみてもよいかも知れませんね。   何か、心にかかっているような出来事はありませんか」とおっしゃいました。  “心にかかっている出来事”と言われて、私はすぐにあることが思い浮かびました。  それは、真理のところに、例の男の子から手紙が初めて来た時のことです。  今回の記述を書いていて、やはり、私の中には、あの時のことが強く心に引っかかっていると感じたのです。  私は、早速その時のことを場面に取り上げてみることにしました。                   以下、次号(後半)へつづく・・・    ・・★・・ 編集後記 ・・★・・  2023年、今年もメルマガをご購読頂き、  ありがとうございます。  新しい年の始まり、  どのようにお迎えでしょうか。  年の始まりのとき  昨年を振り返り、今年の過ごし方を考えるとき  ゆっくりと考える機会になるかもしれません。  春を待つ冬という季節に  家庭で、学校で、仕事先で  落ち着いた時をもち  思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。  ちょっと立ち止まって、自分の気持ちを、  出来事を通して振りかえってみてはいかがでしょうか。  新型コロナウィルス感染症による影響は  現在も続いています。  日々の生活の中で、  季節の変化、身体の変化に目を向けつつ  記憶をたどっています。  改めて、いま一度  何を大切にしていくか、  思い巡らせて、生活したいと思います。  ちょっと立ちどまり   深呼吸してみましょう。   自分の心の変化に  気づく機会になるかもしれません。  目まぐるしく過ぎてゆく生活の中で、  息を抜く時間を大切にしたいものです。  皆さまとご一緒に考える機会となれば、  嬉しく思います。  ご一緒に考えてまいりましょう。  次回を、どうぞ、お楽しみに!  皆様のご意見ご感想をお寄せいただけたら幸いです。  self_counseling2000@yahoo.co.jp  セルフ・カウンセリングには、  通学講座、通信講座など様々な講座があります。  詳しい内容はこちらから →http://www.self-c.net/sutady/index.html      →https://www.self-c.jp/study/self-counseling/  ご興味のある方は、下記の事務局までお問い合わせください。    一般社団法人生涯学習セルフ・カウンセリング学会    〒215-0003 神奈川県川崎市麻生区高石4-23-15  URL  http://www.self-c.net  電話 044-966-0485 ファクシミリ 044-954-3516  電子メール  self_counseling2000@yahoo.co.jp      ************************************** ************************************** ◎このメルマガに返信すると発行者さんにメッセージを届けられます ※発行者さんに届く内容は、メッセージ、メールアドレスです ◎セルフカウンセリング♪自分の心に出会えるメルマガ♪ の配信停止はこちら ⇒ https://www.mag2.com/m/0000231376.html?l=got179cddb