|
|
近代化の淵源を探る (6/6) |
□天皇教国家 大日本帝国憲法の草案をつくった伊藤博文は、こう語っています。
「欧米は、キリスト教精神にもとづいて国家が運営されている。しかし、日本には、そうした拠りどころとなる精神的イデオロギーが希薄である。だから、天皇の権威を国家イデオロギーにしよう」 もし、日本の近代化という観点から、日本史をふり返るならば、こう言うことができるでしょう。明治の指導層は、ものすごいスピードで、近代ヨーロッパの物質文明、すなわち、科学・技術文明をとり入れたが、その物質文明を生みだした、近代ヨーロッパの精神文化、すなわち、宗教・道徳文化を受けとめることを避けた、と言ってよいでしょう。 「和魂洋才」という言葉が端的に表しているように、日本は、天皇制イデオロギーにもとづいて、「近代化」しようとしたのです。しかし、この自己矛盾は、やがて、日本を太平洋戦争へと導いていった、と言っても言いすぎにはならないでしょう。 日本は、アジアにおいて、近代化に成功した最初の国家である、と言われています。しかし、それは、外形を整えただけであって、内実は、まったく異なるものだった、と言わざるをえないのではないでしょうか。 (つづく) |
前のページへ← (6/6) →次のページへ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
Copyright(c)2000-2001 セルフ・カウンセリング学会/渡辺康麿 「セルフ・カウンセリング」は登録商標です。 |